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延岡の美人画家・奈須竹堂
2023/9/27
奈須竹堂「立美人図」延岡市内藤記念館蔵 南画家がほとんどだった江戸後期から明治にかけての延岡で、一人異なるのが奈須竹堂である。竹堂は、若い頃に紋書修業のために京都に行き、修業中に三畠上龍に師事した。同 ...
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国東地方にちょっとした京風美人画ブームをもたらした吉原真龍
2021/7/6
吉原真龍「語らい美人図」 豊後出身の美人画家としては、西国東郡真玉町の吉原真龍(1804-1856)があげられる。真龍は文政期頃に京都に出て三畠上龍に入門し美人画を学んだ。京都を中心に活躍し、嘉永2年 ...
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大正初期の美人画作家・栗原玉葉と長崎ゆかりの日本画家
2023/9/28
栗原玉葉「お夏狂乱(恋)」 大正初期の文展で美人画作家として活躍した栗原玉葉(1883-1922)は、現在の雲仙市に生まれ、上京して寺崎広業に学んだ。大正2年、第7回文展に初入選し、第8回展では褒状を ...
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北島浅一ら東京美術学校に学んだ佐賀の洋画家
2021/7/12
北島浅一「パリの踊り子」 明治20年に東京美術学校が創設され、29年に西洋画科が新設されると、佐賀県の若者たちも上京して洋画を学ぶようになった。明治期に東京美術学校西洋画科に学んだ佐賀県出身の者として ...
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百武兼行によってはじまる佐賀洋画
2023/9/27
百武兼行「マンドリンを持つ少女」 佐賀藩最後の藩主となった鍋島直大は、維新後は新政府の要職につくほか、明治4年には政府派遣の欧米視察団としてアメリカに渡り、その後はイギリスに留学した。その時に直大に随 ...
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実直な写実を貫いた中村研一と福岡の官展系洋画家
2023/9/28
中村研一「サイゴンの夢」 宗像郡生まれの中村研一(1895-1967)は、東京美術学校で岡田三郎助に師事し、早くからその才能が注目され、卒業の年には帝展に初入選した。美校在学中から留学を希望し、大正1 ...
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江戸後期の筑前四大画家
2021/7/6
左:桑原鳳井「羅婦仙図」(賛:二川相近)右:石丸春牛「柘榴に山鳥図」乳峰寺蔵 江戸後期、狩野派の御用絵師たちが粉本主義に陥り、精彩を失っていくなか、筑前画壇では町絵師たちが独自の画業を展開していた。な ...
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写実理論を作品と執筆の両面から確立しようとした前田寛治
2023/9/28
前田寛治「西洋婦人像」 鳥取県中部の中北条村国坂の農家の二男として生まれた前田寛治(1896-1930)は、倉吉中学を卒業後、東京美術学校を卒業して倉吉中学に赴任したばかりの中井金三の勧めもあって画家 ...
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明治・大正生まれの鳥取出身の日本画家
2021/7/9
八百谷冷泉「一行寺本堂内天井画」一行寺蔵 鳥取市の左官の家に生まれた八百谷冷泉(1887-1959)は、地元の中住道雲に師事したのち、京都に出て山元春挙に入門した。大阪美術学校で後進の指導にあたるとと ...
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松江洋画研究所を設立して島根の美術振興に貢献した草光信成と木村義男
2021/7/9
草光信成 三部試作「成長」のうち「手伝」 森本香谷、草光信成(1892-1970)、木村義男(1899-1985)を中心メンバーとして設立された松江洋画研究所は、大正末から昭和初期にかけて島根の洋画振 ...