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呉春に師事し大坂画壇で活躍した長山孔寅
2021/7/6
長山孔寅「双鹿」 秋田出身の四条派の初期画人としては、京都に出て呉春に学び、のちに大坂画壇で活躍した長山孔寅(1765-1849)がいる。孔寅は、12歳で角館の酒屋・久田屋に奉公し、のちに秋田の那波呉 ...
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人生の大半を旅に暮らし各地で得た見聞や体験を日記や地誌に描き残した菅江真澄
2021/7/6
『菅江真澄遊覧記』5-18 牡鹿の寒風(文化7年7月から翌正月までの日記)この日記には、男鹿大地震の様子が記録されている。正月は宮沢(若美町)で迎え、なまはげの様子を説明している。 三河国で生まれた菅 ...
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人生の大半を旅に費やした本荘藩御用絵師・増田九木
2021/7/6
左:増田九木「良寛図」、右:増田象江「男鹿飛島眺望図」 由利・本荘地方は、本荘狩野といわれる独自の絵画圏をつくり、狩野派が大きな勢力を持っていたが、谷文晁系の南画を学んだ増田九木は、長い旅の末に広く画 ...
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本荘市永泉寺山門に「天女」を描いた4人の絵師
2021/7/6
上:牧野雪僊「鼓飛天図」、2番目:増田象江「太鼓飛天図」、3番目:阿部永暉「持蓮華飛天図」、下:鈴木梅山「散華飛天図」 本荘市の永泉寺山門は、本荘藩最後の藩主・六郷政鑑の時代に、永泉寺六世義門達宣の発 ...
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大地震で隆起する前の「象潟」を描いた本荘画工の始祖・牧野永昌
2021/7/6
牧野永昌「象潟図屏風」(上:右隻、下:左隻)秋田県指定重要文化財 本荘藩御用絵師の初代である牧野永昌(1747-1823)は、秋田狩野の祖とされる狩野定信とは別系統に属する狩野派の絵師で、いわゆる本荘 ...
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秋田藩江戸定居の御用絵師・狩野秀水と菅原洞斎
2021/7/6
菅原洞斎「官女」千秋文庫蔵 藩政時代の秋田藩御用絵師は、秋田狩野派の祖とされる狩野定信の画系が代々つとめていたが、その系列とは別に第9代秋田藩主・佐竹義和の時、狩野秀水(不明-不明)が江戸定居の御用絵 ...
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横手の南蘋派・佐々木原善と戸村後草園
2021/7/6
左:佐々木原善「唐美人」右:戸村後草園「花鳥」 秋田に最もはやく南蘋派の画法を伝えたのは、横手の佐々木原善(不明-不明)とされる。原善は横手城代の戸村義敬・義通(後草園)親子をパトロンとし、安永年間に ...
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秋田蘭画を受け継ぎ江戸系洋風画へと展開させた司馬江漢
2021/7/6
司馬江漢「西洋人樽造図」提供:東京国立博物館 秋田蘭画は、小田野直武、佐竹曙山を中心に盛り上がりをみせたが、安永8年、直武に西洋画法を伝授した平賀源内の死去にはじまり、翌年には直武が、その5年後には曙 ...
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秋田蘭画の画家たち
2021/7/6
左:藤氏憲承「円窓美人図」、右:太田洞玉「蝦蟇仙人図」 秋田蘭画の画家としては、平賀源内に西洋画法を伝授された小田野直武と、直武から画法を学んだ秋田藩主・佐竹曙山を中心に、直武のよき理解者だった角館城 ...
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狩野派の筆致に陰影法を加味した作品を残した荻津勝孝
2021/7/6
荻津勝孝夫妻像 荻津勝孝 佐竹曙山の直臣・荻津勝孝も秋田蘭画を描いた人物のひとりとされ、平賀源内が秋田滞在中に、小田野直武、田代忠国とともに源内に西洋画法を伝授されたと伝わっている。狩野洞春の画風を学 ...