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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/2/10
長谷川宗広(不明-不明)は、初代長谷川貞信の門人と思われ、嘉永5年頃から慶応3年頃まで活動した。役者絵を手掛け、まとまった量の作品が確認されている。文久3年に限って一時的に二代北川豊秀を名乗ったが、翌 ...
2025/2/7
歌川国員(不明-不明)は、江戸の三代豊国の門人と思われ、弘化4年頃から慶応3年頃に活躍した。歌川貞升らと同様に江戸の絵師に師事したが、上方の好みに合わせた画風で役者絵を描いた。また、芳雪、芳滝との合作 ...
2025/2/5
五葉亭広信(不明-不明)は、五粽亭広貞の門人で、嘉永4年頃から明治5年頃までの作画が確認されている。役者絵や絵入根本挿絵などを手掛け、多くの作品を残している。広信の役者絵は時代の流れに即して、全身像で ...
2025/2/3
五蝶亭貞広(不明-不明)は、初代歌川国貞の門人と思われ、歌川姓を名乗った。天保から嘉永にかけての作画が確認されており、多くの役者絵や風俗画を残している。五粽亭広貞と同一人物である可能性が指摘されている ...
2025/1/31
五粽亭広貞(不明-不明)は、画系は不明だが、初代歌川国貞の門人という説もある。天保の改革以後の上方浮世絵界を代表する絵師で、弘化4年頃から嘉永6年頃に活動し、主に役者絵を描いた。はじめは大首絵が中心だ ...
2025/1/29
歌川貞升をはじめ、貞広、貞芳は、江戸の初代歌川国貞に師事し歌川姓を名乗ったが、いずれも上方の好みに合わせた画風で役者絵を描いた。天保13年の天保の改革による役者絵版行の禁止により5年余りの画業の中断を ...
2025/1/27
一鶯斎芳梅(1819-1879)は、大坂の人で、天保12年から安政年間頃に活躍した。江戸の歌川国芳の門人で、美人画では国芳風の健康的で明るい印象の美人を描いた。一方で役者絵においては上方の好みに合った ...
2025/1/24
北粋亭芳豊(不明-1866)は、江戸の歌川国芳の門人で、歌川姓を名乗り、歌川芳豊とも称した。安政年間のみの作画が知られ、役者絵のほか、風俗画、風景画も描いた。 『花暦浪花自慢』は、安政年間に芳豊が描い ...
2025/1/22
長谷川貞信(1809-1879)は、大坂の安堂寺町浪花橋にあった茶巾袱紗商の奈良屋に生まれた。はじめ四条派の上田公長に師事したが、生家が没落したため収入を得やすい浮世絵を学ぶため歌川貞升や柳斎重春に師 ...
2025/1/20
春梅斎北英と同時期に活躍し、上方浮世絵の中期を支えた柳斎重春(1802-1852)は、長崎の生まれで、実家は大島屋という両替商を営んでいた。重春の才能に気付いた親が、大坂に連れてきて画技を修めさせたと ...
2025/1/17
春梅斎北英(不明-1836)は、春好斎北洲の門人で、師の画風を継承し、文政11年頃から没する天保7年までの短い活動期間のなかで多くの作品を残し、柳斎重春とともに文政から天保年間に役者絵の分野で中心絵師 ...
2025/1/15
丸丈斎国広(不明-不明)は、文化から天保年間にかけて作画し、上方浮世絵中期全体にわたって活躍した。江戸の初代歌川豊国(参考)の門人だったと思われるが、画風は江戸の浮世絵というよりも、上方独特の粘り強い ...
2025/1/13
上方の浮世絵師たちは師弟関係などによって、いくつかの小集団を形成していたと思われるが、本名や経歴が分かっている絵師は少なく、その実態はあまり明瞭に分かっていない。そのなかで際立ってまとまりが明らかな一 ...
2025/1/10
寿好堂よし国(不明-不明)は、浅山芦国の門人と思われ、文化年間から天保元年頃までの作画が確認できる。大坂での役者絵版行数が飛躍的に増えていく時期に、春好斎北洲に次ぐ絵師として、戯画堂芦ゆきや丸丈斎国広 ...
2025/1/8
戯画堂芦ゆき(不明-不明)は、はじめ有楽斎長秀に学び、のちに浅山芦国の門人になったとされる。春好斎北洲とともに上方浮世絵中期の前半を支えた代表的絵師のひとりで、文化10年頃から天保6年頃まで活動した。 ...
2025/1/6
流光斎如圭、松好斎半兵衛以後の大坂役者絵は、文化末・文政期、天保期、嘉永・安政期に三分できる。隆盛期となる文化末・文政期を代表する絵師としては、松好斎の門人でのちに葛飾北斎に入門したと思われる春好斎北 ...