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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2022/1/11
上伊那郡南箕輪村に生まれた小澤秋成(1886-1954)は、松本中学校を経て、東京美術学校日本画科に進み、明治44年同校図画師範科を卒業した。同年の卒業生に諏訪出身の矢沢弦月がいる。卒業後は、野沢中学 ...
2024/12/14
神奈川県横浜市に生まれた村山槐多(1896-1919)は、教師だった父親の赴任に伴って小、中学時代を京都で送った。京都府立第一中学校(現在の洛北高校)在学中から絵画、文学に傾注し、級友らと「強盗」「銅 ...
2021/12/24
倉田弟次郎(1870-1894)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第二子として埼玉県浦和に生まれた。本来立見姓だったが、父の幽谷が立見一族のなかの倉田の家を再興して姓を改めた。弟の倉田白羊は、弟次郎が ...
2021/12/20
倉田白羊(1881-1938)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第三子として埼玉県浦和に生まれた。23歳で早世した兄・弟次郎の遺志をついで画家を志し、遠縁にあたる浅井忠に師事し、浅井が東京美術学校教授 ...
2024/12/14
山本鼎(1882-1946)は、版画家としては自画・自刻・自摺による「創作版画」を提唱して「日本創作版画協会」を創立、洋画家としては小杉未醒(放庵)、中川一政らと「春陽会」を創立するなど、幅広い制作活 ...
2024/12/7
一條成美(1877-1910)は、東筑摩郡神林村(現在の松本市神林)に生まれた。生家は資産家だったが、父の放蕩のために財産を失い、幼少の頃に北信濃の篠井に移住した。その後、松本中学に入学するが、1、2 ...
2021/12/13
江崎孝坪(1904-1963)は、上伊那郡高遠町(現在の伊那市高遠)に生まれた。小学生のころから絵を描くことが好きで、14歳の頃に小学校を中退して上京、日本橋にある呉服の小物問屋・細田につとめ、風呂敷 ...
2021/12/11
日本統治時代(1895~1945)の台湾には、教育者として渡った信州人も多く、昭和2年(1927)に創設された台湾美術展では池上秀畝や矢沢弦月らが審査員をつとめるなど、芸術家も多く台湾を訪れている。そ ...
2021/12/11
矢沢弦月(1886-1952)は、諏訪郡上諏訪村(現在の諏訪市)に生まれた。父は早くから諏訪で印刷業をはじめていたという。幼いころから利発で、尋常小学校を卒業後は、母校の代用教員をつとめていたが、14 ...
2021/12/11
東京神田紺屋町の古道具屋の家に生まれた登内微笑(1891-1964)は、2歳で母と死別し、父の郷里である手良村(現在の伊那市)で少年時代を過ごした。小学校卒業後は、農業を手伝っていたが、絵ばかり描いて ...
2022/3/30
下高井郡中野町(現在の中野市)の街の中心部のごく限られた地区に、明治12年、菊池契月、町田曲江、金井一章と3人の日本画家が生まれた。3人は同じ小学校に通い、ともに渋温泉の児玉果亭のもとで学んだ後、京都 ...
2021/12/11
町田曲江(1879-1967)は、下高井郡中野町(現在の中野市)の雑貨商を営む家に生まれた。少年の頃から、小学校の同級生だった菊池契月、金井一章らとともに渋温泉の児玉果亭に学んだが、家族に画家になるこ ...
2024/12/11
菊池契月(1879-1955)は、下高井郡中野町(現在の中野市)に生まれた。小学校の同級生に、後にともに画家を目指すことになる町田曲江と金井一章がいた。3人とも比較的裕福な家庭だったこともあり、契月の ...
2021/12/11
長谷川石峯(1879-1904)は、下伊那郡喬木村阿島に生まれた。長谷川家は代々阿島に居住した同地方屈指の豪農で、明治維新後、父は戸長をつとめ、製糸業をはじめたが没落したと伝わっている。石峯は、幼いこ ...
2021/12/11
新村龍翠(1866-1939)は、上伊那郡平出村(現在の辰野町)に生まれた。幼いころから絵筆を握り、26歳で上京し荒木寛畝に師事した。寛畝のもとでは、南北合派を学び、花鳥に徹し、次第に頭角をあらわした ...
2021/12/11
池上秀畝(1874-1944)は、上伊那郡高遠町(現在の伊那市高遠)の紙商兼小間物屋の二男として生まれた。祖父休柳も父秀花も絵を描いており、祖父・父ともに家業は番頭にまかせて趣味三昧の生活を送っていた ...