歌川国政(1773?-1810)utagawa-kunimasa
会津の出身で紺屋の職人だったが、芝居好きが高じて役者の似顔絵を描くうちに、紺屋の主人と交際のあった初代豊国の門人になったと伝えられる。暇があれば芝居小屋に向かうほどの芝居好きだったので、筋や役者の演技を熟知しており、芝居のクライマックスを的確に描きあげ、人気を得た。勝川派から歌川派へと役者絵の主流が移っていく過程で大きな役割を果たしたといえる。作画の中心は役者絵だが、美人画や肉筆作品も手がけた。
会津の出身で紺屋の職人だったが、芝居好きが高じて役者の似顔絵を描くうちに、紺屋の主人と交際のあった初代豊国の門人になったと伝えられる。暇があれば芝居小屋に向かうほどの芝居好きだったので、筋や役者の演技を熟知しており、芝居のクライマックスを的確に描きあげ、人気を得た。勝川派から歌川派へと役者絵の主流が移っていく過程で大きな役割を果たしたといえる。作画の中心は役者絵だが、美人画や肉筆作品も手がけた。