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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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備中から移り住み画塾を開いた塩田銕香と出雲の門人

2024/12/21  

備中(岡山県)に生まれた塩田銕香(1850-1889)は、26歳の時に出雲を訪れて以来、この地に住み、画塾を開いて画技の指導をした。このため出雲市近辺では絵画に対する眼識を開いた人が多くなったといわれ ...

出雲地方に南画鑑賞の土壌を培った田能村直入と出雲の門人

2021/7/9  

江戸後期になると、出雲・石見地方でも文人趣味の機運が起こり、この地を訪れる南画家を歓心を持って迎え、揮毫を依頼したり、漢詩や南画の指導を受けたりした。尾張の南画家・中林竹溪(1816-1867)は、天 ...

出雲を訪れた風外禅師に学んだ横山雲南(黄仲祥)

2021/7/9  

出雲地方には白隠慧鶴禅師(1685-1768)の筆による書画がいくつか伝来している。松江市の天倫寺に伝わる「出山釈迦図」「大応・大燈・関山国師図」などで、いずれも白隠の法脈を持って請来されたものと考え ...

津和野藩御用絵師・大島松溪と藩主亀井家

2021/7/9  

津和野藩御用絵師・大島松溪(1758-1846)は津和野に生まれ、亀井矩貞・矩賢・茲尚の三代の藩主に仕えた。豪放な人柄で、あふれ出る才能は神がかり的だったとも伝わっている。常に大作を心掛け、彫刻も巧み ...

石見の南蘋派・三浦紫えんと門人

2021/7/9  

石見地方の南蘋派としては、津和野藩士の三浦南溪・紫☆親子がいる。父の南溪は江戸に南蘋派を広めた宋紫石に学び、藩の御用絵師をつとめた。子の紫☆(「☆」は「田」+「宛」、以下同様)は、父の没後に宋紫山に入 ...

渡辺崋山と密接に交遊した津和野藩家老・多胡逸斎

2023/7/24  

津和野藩家老・多胡逸斎(1802-1857)は、博識で内外の情報に通じ、藩政においても手腕を発揮、天保の飢饉に際しても藩内は難を逃れたという。書画においても、多くの著名南画家たちと交遊し、名を高めた。 ...

駿河台狩野に学んだ津和野藩御用絵師・岡野家六代

2021/7/9  

岡野洞淵(不明-1759)は駿河台狩野の開祖・狩野洞雲益信の門人だったが、津和野藩主・亀井氏のお抱え絵師となり、その後岡野家は六代に渡って津和野藩に仕えた。第三代の岡野洞山美高(1770-1856)は ...

四条派を学んだ上代英彦と出雲の門人

2021/7/9  

上代英彦(1819-1883)は5年間堀江友声に学んだのち、京都に出て四条派の岡本豊彦に師事した。田能村直入、中西耕石らと交友し研鑽を積んだが、病弱だったため帰郷し、晩年は大東町で過ごした。出雲の門人 ...

諸国を遊歴し多くの門人を残した堀江友声

2021/7/9  

大原郡大東町に生まれた堀江友声(1802-1873)は、14歳の時に松江に住んでいた狩野派の竹内衡山に入門、衡山の没後は京都に出て狩野派の山本探淵に師事した。また、宋・元・明の諸名家の筆法を研究すると ...

母里藩御用絵師・長塩雪山と安来の門人

2021/7/9  

松江藩の支藩である母里藩の御用絵師をつとめた長塩雪山(1774-1833)は京都に生まれたが、安来の医師・原氏方に寄宿していた父の近江屋太右衛門を慕い安来に移り住んだところ、原氏の推薦で母里藩の御用絵 ...

木挽町狩野に学んだ雲州狩野派の画人たち

2021/7/9  

出雲の狩野派は、狩野永雲の画系が途絶えたのち、時代が下って木挽町狩野の狩野伊川院栄信に学んだ飯島雲岳(不明-不明)が御用絵師として文化年間に活躍、雲州狩野派屈指の妙手と称された。また、松江西山家四代の ...

出雲松江藩御用絵師・狩野永雲とその画系

2021/7/9  

出雲国では、徳川家康の孫にあたる松平直政が寛永15年に松江に入り、松江藩初代藩主となった。松江藩の絵師としては、直政が越前時代に召抱えられたとみられる大田弥兵衛(不明-1659)が、江戸詰めの松江藩御 ...

フォルム画廊を設立した美術評論家・福島繁太郎と香月泰男

2021/7/9  

福島コレクションで知られる美術評論家で画商の福島繁太郎(1895-1960)は、東京帝国大学を卒業後、パリに渡りエコール・ド・パリの画家たちと交流、彼らの作品をコレクションするとともに、ワルデマル・ジ ...

制作と理論の両面で抽象絵画の可能姓を追及した長谷川三郎

2021/7/9  

下関に生まれ早い時期に神戸に移り住んだ長谷川三郎(1906-1957)は、東京帝国大学美術史学科卒業後にアメリカ、ヨーロッパを遊学、帰国して本格的な画家活動を開始するとともに、美術雑誌に画論や評論文を ...

層が薄く散発的な長州の初期洋画家

2021/7/9  

明治維新に関わった薩摩、肥前からは日本の近代洋画の初期から形成期にかけて多くの重要な洋画家が出ているが、薩摩とともに明治政府を主導した長州からは、主だった洋画家が出ていない。長州で最も早く油彩画に関わ ...

近代絵画としての南画の再生に尽力した松林桂月

2021/7/9  

松林桂月(1876-1963)は、渡辺崋山や椿椿山の系流につながる野口幽谷に師事し、江戸期以来の崋椿系南画の系統を受け継ぎながらも、近代における南画の有り様を模索し続けた。文展開設後は、大会場に見合う ...

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