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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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古川龍生ら栃木ゆかりの版画家

2021/7/6  

古川龍生(1893-1968)は、下都賀郡桑村大字羽川(現在の小山市)に生まれ、神奈川県葉山町に下宿して厨子開成中学に通った。卒業後は東京美術学校日本画科に進学し、結城素明に師事したが、卒業制作を最後 ...

創作版画運動の中心的役割をになった川上澄生

2025/3/27  

横浜に生まれた川上澄生(1895-1972)は、高校在学中から詩や木版画に親しみ、当時の詩人や版画家などから多くの影響を受けた。特に木下杢太郎の『和泉屋染物店』に掲載された伊上凡骨の木版口絵に惹かれ、 ...

高木勇次ら栃木ゆかりの洋画家

2021/7/6  

ともに足利市に生まれた高木勇次(1911-2004)と原田平治郎(1911-1999)は、幼馴染として育った。高木は小学校卒業後、15歳で上京し鉄鋼販売に従事しながら絵を描いていたが、昭和4年に春陽会 ...

人間の宿命的な業を描いた小山田二郎

2021/7/6  

父の出張先の中国で生まれた小山田二郎(1904-1991)は、12歳の時から母方の祖母の郷里である栃木県大田原市で育った。幼いころから親戚の小堀鞆音に水彩を学び、中学卒業後には上京し、帝国美術学校(現 ...

日本各地を旅して四季の移ろいを描いた刑部人

2021/7/6  

栃木県下都賀郡家中村(現在の都賀町家中)に生まれた刑部人(1906-1978)は、小学生の時に父親の転勤に伴って上京し、川端龍子のもとに通って日本画を学んだ。中学卒業後は東京美術学校西洋画科に入学し、 ...

田中一村ら栃木ゆかりの日本画家

2021/7/6  

栃木町(現在の栃木市)に生まれた田中一村(1908-1977)は、幼いころから画才を発揮し、大正15年には東京美術学校日本画科に入学するが2カ月で退学。同期には東山魁夷、橋本明治、加藤栄三らがいた。そ ...

フレスコ風日本画から抽象表現に転換した岩崎鐸

2021/7/6  

岩崎鐸(1913-1988)は、東京上野の祖父の家で生まれ、小学校卒業後に両親のいる宇都宮に転居した。20歳の時に東京美術学校日本画科に入学、結城素明に師事して素明の研究会に参加した。研究会の主なメン ...

最後の近代歴史画家・羽石光志

2021/7/6  

近代歴史画の父・小堀鞆音が開拓した新しい歴史画は、安田靫彦や前田青邨ら多くの画家たちによって引き継がれていったが、時の流れとともに日本画は新しさを求めて多様化していき、歴史画は次第に画家たちの興味の対 ...

抽象表現に南画の新しい境地を拓いた大山魯牛

2021/7/6  

大山魯牛(1902-1995)は、東京日本橋に生まれ、生後すぐに実家のある足利に移った。3歳の時に病気のため右足を切断し、手術時の後遺症で左耳の聴覚を失った。10歳頃から本家の所蔵品の虫干しを手伝いな ...

視力を失ってからも描き続けた長谷川沼田居

2021/7/6  

長谷川沼田居(1905-1983)は、現在の足利市県町に生まれた。15歳で田崎草雲の門人・牧島閑雲の内弟子となり、南画の基礎と漢学を学んだ。20歳の時に上京し、ニコライ堂の牧師で洋画家だった閑雲の子・ ...

イコンと仏画を融合した独自の宗教画を確立した牧島如鳩

2021/7/6  

牧島如鳩(1892-1975)は、南画家・牧島閑雲の長男として現在の足利市上渋垂町に生まれた。父が熱心なハリストス正教徒だったことから、如鳩も幼児洗礼を受け聖名パウエルを授けられた。明治41年、東京神 ...

南画を描きながら足利の青年たちに漢学を教えた牧島閑雲

2021/7/6  

牧島閑雲(1851-1942)は、栃木県梁田郡梁田宿(現在の足利市梁田町)に生まれ、9歳頃から館林藩の儒臣・田中泥斎に漢学を学んだ。22歳の時に田崎草雲に師事し、以後20年間にわたり草雲の指導を受け、 ...

明治最初期に師範学校の図画教員を長くつとめた河野次郎

2021/7/6  

河野次郎(1856-1934)は、足利藩の江戸藩邸に生まれ、明治時代最初期の美術教育者として師範学校の図画教員を長くつとめた。教え子には中村不折や結城素明らがいる。大正から昭和初期にかけて活躍した河野 ...

ニューヨークで食器デザインと油彩を手がけた古田土雅堂

2021/7/6  

栃木県芳賀郡中川村(現在の茂木町)に生まれた古田土雅堂(1880-1954)は、上京して東京美術学校日本画科に学び、卒業して間もなくアメリカに渡った。シカゴで働きながら美術を学び、翌年にはニューヨーク ...

20世紀初頭のアメリカで独自の画風を確立させた清水登之

2021/7/6  

清水登之(1887-1945)は、栃木県下都賀郡国府村(現在の栃木市)の大地主の家に生まれた。絵画好きの父の影響で、子どものころから絵に親しみ画家になる夢も持っていたが、中学の先生の勧めもあり、軍人を ...

日本画壇とパリ画壇の双方で活躍した川島理一郎

2021/7/6  

足利市に生まれた川島理一郎(1886-1971)は、幼いころから母の実家がある東京で育った。19歳のときにニューヨークで雑貨商を営む父を頼って単身渡米、パブリック・スクールを卒業後は、父の仕事を手伝い ...

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奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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妖艶で頽廃美漂う画風を展開し、画壇の悪魔派と呼ばれた北野恒富

北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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