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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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東大寺の散華、絵馬の図案を長くつとめた杉本健吉

2024/7/22  

杉本健吉(1905-2004)は、浄瑠璃三味線の師匠の子として愛知県名古屋市に生まれた。愛知県立工業学校図案科卒業後は、岐阜の織物商などで図案を担当していたが、昭和2年に独立してデザイン事務所を開設、 ...

放浪の果てに餓死した木版画の鬼才・谷中安規

2024/7/19  

谷中安規(1897-1946)は、奈良県磯城郡初瀬村(現在の桜井市初瀬)に生まれた。6歳の時に母を亡くし、京城(現在の韓国ソウル市)で洋品雑貨店を開業していた父に連れられ13歳で朝鮮に渡ったが、その後 ...

未来派美術協会を創設し日本の前衛美術運動の先駆的な役割を果たした普門暁

2024/7/17  

普門暁(1896-1972)は奈良市に生まれ、生後間もなく東京に移った。少年期は東京蔵前高等工業学校で建築意匠を学んでいたが、やがて絵画を志すようになり、同校を中退して川端画学校に入り日本画を学んだ。 ...

油彩を離れ彩漆画の研究と制作に専念した松岡正雄

2024/7/15  

松岡正雄(1894-1978)は、奈良県宇陀郡榛原町(現在の宇陀市)に生まれた。奈良師範学校在学中の明治45年に設立された日本洋画協会の奈良支部長をつとめ、奈良から洋画を志す画家たちの目標とされたとい ...

各地を転々とし追憶の風景を描き続けた不染鉄

2024/7/5  

不染鉄(1891-1976)は、東京小石川の光円寺住職の子として生まれた。浄土宗の名門・私立芝中学校に入学したが、素行不良のため放校となり、攻玉社中学校に転校したが、中学卒業後も進路が定まらず、少年の ...

最初期の奈良の洋画教育者・岡本六二

2024/7/3  

大正12年から畝傍中学校などで教鞭をとった岡本六二(1886-1975)は、最も初期の奈良の洋画教育者の一人で、実技指導では山本鼎が提唱した自由画教育を取り入れ、幻燈(スライド)を使っての講義は、印象 ...

昭和初期の奈良洋画界を形成していった移住画家たち

2024/7/1  

昭和初期の奈良洋画界は、濱田葆光や山下繁雄をはじめ、小見寺八山や新井完、春陽会などに所属した若山為三(1893-1961)、二科展や一水会展に出品した小野藤一郎(1898-1958)ら、大正期以降に次 ...

志賀直哉『淋しき生涯』のモデルとなった小見寺八山

2024/7/7  

大正14年、京都から奈良に住まいを移した小説家の志賀直哉は、先に奈良に移住していた足立源一郎のアトリエ横に、昭和4年、数寄屋造の家を新築した。志賀の奈良への移住は、京都で親交があり、大正12年に奈良に ...

奈良で初となる洋画の展覧会を開催した足立源一郎

2024/6/26  

大正8年、フランス留学から帰国したばかりの足立源一郎(1889-1973)が、奈良に住まいを移し、奈良市郊外の高畑にモダンな赤い屋根のアトリエを構えた。そして同年10月、足立と先に奈良に移住していた濱 ...

生涯軍鶏を描き続け軍鶏の画家と呼ばれた山下繁雄

2024/6/24  

山下繁雄(1883-1958)は、東京京橋の元禄期頃から大名の駕籠づくりを家業としていた旧家に生まれた。幼いころから画を好み、少年時代には小山正太郎の不同舎で学び、18歳で太平洋画会研究所に入り、明治 ...

奈良公園と鹿の生態を描き続けた濱田葆光

2024/6/21  

濱田葆光(1886-1947)は、高知市に生まれ、画家を志して上京、はじめ徳永仁臣の審美学舎で学び、ついで小山正太郎の不同舎に入った。さらに太平洋画会研究所に入り、そこで満谷国四郎や中村不折らに師事し ...

有識故実に基づく歴史画を得意とし「日蓮聖人絵伝」を身延山久遠寺に奉納にした植中直斎

2024/12/11  

植中直斎(1885-1977)は、奈良県天理市山田町に生まれた。はじめ大阪の深田直城の画塾に学び、明治38年上京して橋本雅邦の門に入った。明治40年東京勧業博覧会で2等賞を受賞し、さらに同年創設された ...

日本自由画壇を結成に参加した庄田鶴友

2024/6/17  

庄田鶴友(1879-1948)は、奈良県添上郡柳生村に生まれ、京都市立美術工芸学校絵画科を卒業後、山元春挙に師事した。明治32年から35年まで兵役につき、明治36年に第5回内国勧業博覧会で褒状を受けた ...

黒田清輝らがもたらした外光派の影響を受け平明な風景画や静物画を描いた中村勝治郎

2024/7/7  

中村勝治郎(1866-1922)は、現在の奈良市に生まれ、京都で山内愚仙に洋画を学んだ。その後、明治26年にフランス留学から帰国したばかりの黒田清輝と久米桂一郎と知り合い、教えを受けるようになり、白馬 ...

独自画論「直観画」の普及を図った大村長府

2024/6/12  

大村長府(1870-1925)は、奈良県大和郡山市に生まれ、明治21年、19歳の時に洋画家を志して上京、本多錦吉郎に師事し、翌年本多らによって結成された日本最初の洋画団体である明治美術会の第1回展に出 ...

多くの詩書画を残した最後の攘夷志士・三枝真洞

2024/6/10  

三枝真洞(1835-1868)は、大和国添下郡(現在の大和郡山市)の浄土真宗浄蓮寺に生まれた。近くの村の儒医今村文吾の私塾に通って漢学、国学を修め、京都に出て伴林光平に国学、和歌、書を学び、藤本鉄石に ...

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奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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