日本画家

関西の都市下層に生きる女性を描いた鳥居道枝

2025/5/21  

鳥居道枝「燈芯」 鳥居道枝(1902?-1930)は、陸軍技師・鳥居榮の長女として東京に生まれ、父の赴任先の大阪で少女期を過ごした。大阪府立清水谷高等女学校を卒業後、岡本大更に師事し、両親の全面的理解 ...

独学で学び美人画を得意とした岡本大更

2025/5/19  

岡本大更・松村梅叟の合作「金魚」屏風の左側を大更、右側を梅叟が描き、別々の署名がなされている。 岡本大更(1879-1945)は、三重県名張郡滝之原村に生まれ、幼いころ一家で東京に出た。幼少期から画才 ...

生涯にわたり大阪の歴史風俗を題材とした生田花朝女

2025/5/16  

生田花朝女「浪速天神祭」 生田花朝女(1889-1978)は、文人で画も描いた生田南水の三女として大阪市天王寺区上之宮町に生まれた。幼いころから諸学を修め、俳句を父に、漢学を藤澤黄坡に、国学を近藤尺天 ...

その美貌で全国的に知られた芸妓・富田屋八千代

2025/5/14  

富田屋八千代「白蔵主」 富田屋八千代(1887-1924)は、大阪府中河内郡西六郷村本庄(現在の東大阪市)の農家・西田家に生まれ、その後、大阪市の宗右衛門町で置屋・加賀屋を営む遠藤家の養女となった。明 ...

軽妙洒脱な「浪速風俗画」を確立した菅楯彦

2025/5/12  

菅楯彦「淡路人形浄るり」倉吉博物館蔵 菅楯彦(1878-1963)は、日本画家・菅盛南の子として現在の鳥取県に生まれ、幼くして一家で大阪に移り住んだ。大阪移住後ほどなくして襖絵の絵師をしていた父が病に ...

天井画など四天王寺に多くの足跡を残した湯川松堂

2025/5/9  

湯川松堂「松鶴図屏風」四天王寺蔵 湯川松堂(1868-1955)は、現在の和歌山県日高郡印南町に生まれた。父は染戸の上絵を生業とし、「岸水」の号を持つ画家だった。松堂は父のもとで画をはじめ、明治11年 ...

森寛斎に学び京都画壇で活躍した奥谷秋石

2025/5/7  

奥谷秋石「松渓風雪遊鹿山水之図」京都国立近代美術館蔵 奥谷秋石(1871-1936)は、大阪に生まれ、はじめ重春塘に学び、のちに京都で森寛斎の門に入り円山派の画風を学んだ。山水画を得意としたが、花鳥画 ...

東京美術学校を中退し大阪で画を生業にした江中無牛

2025/5/5  

江中無牛「蝦蟇鉄拐」京都国立近代美術館蔵 江中無牛(1868-1928)は、福岡県久留米市の紙商を営む家に生まれた。幼いころから郷里の私塾・柳園塾で学び、平野五岳に師事して2年余り画を学んだ。15歳の ...

森派の森一鳳に「円山風」を学んだ森関山

2025/4/11  

森関山「住吉風景図」大阪市立博物館蔵 江戸時代の大坂画壇において重要な流派のひとつである森派は、もともと狩野派風を描いていた森陽信、周峰、祖仙(のちに狙仙に改号)の三兄弟のうち、写生画の作風を確立した ...

狩野派と円山派を折衷した画風を確立した渡辺祥益

2025/4/9  

渡辺祥益「淡彩住吉社頭之図」 渡辺祥益(1848-1905)は、渡辺梁益の二男として大坂に生まれた。父の梁益は、京狩野家9代の狩野永岳に学び、禁裏御用をつとめたという。祥益は、父の没後慶応3年に京都に ...

動物の生態を研究し写生につとめた望月金鳳

2025/4/7  

望月金鳳「孔雀之図」 望月金鳳(1846-1915)は、大坂平野町に接骨医・平野浄恵の二男として生まれた。9歳の頃林仁鳳に円山派の手ほどきを受け「芳林」と号し、その後四条派の西山芳園・完瑛に学び「金鳳 ...

西山完瑛に学んだ武部秋畦・白鳳兄弟

2025/4/2  

武部白鳳「雨樹栖鷲図」 武部秋畦(1868-1906)、武部白鳳(1871-1927)の兄弟は、歌川派の浮世絵師の流れを汲む画家・武部芳峰の子として大阪に生まれ、兄弟で西山完瑛(参考)の門に学んだ。兄 ...

船場派を率いる先達の役割を果たした西山完瑛

2025/3/31  

西山完瑛「鸚鵡図」 西山完瑛(1834-1897)は、四条派の西山芳園の子として江戸後期の大坂に生まれた。父の芳園は、大坂に四条派を流行らせたとされる画家で、完瑛もその伝統を受け継ぎ、温雅で洒脱な人物 ...

平井直水、大塚春嶺ら深田直城の門人

2025/3/28  

平井直水「梅花孔雀図」 平井直水(1860-不明)は、30歳で画家を志し深田直城に師事した。孔雀を描くのを得意とし、日本絵画協会などで受賞を重ね、明治40年に日本初の官展として開設された文展の第1回展 ...

大阪四条派の重鎮として後進を育成した深田直城

2025/3/26  

深田直城「水辺芦雁・雪中舩泊」 深田直城(1861-1947)は、近江国の膳所藩士の家に生まれた。8歳の時に京都に出て絵画を習いはじめ、14歳で父の友人である加島菱洲に洋画を学び、翌年森川曽文に師事し ...

終生「船場の絵描き」として生きた庭山耕園

2025/3/24  

庭山耕園「舞楽図」 庭山耕園(1869-1942)は、現在の兵庫県姫路市に生まれた。庭山家は代々姫路藩の酒井家に仕えており、父は大坂の蔵屋敷の仕事に携わっていたが、明治初年の廃藩で職を失ったため家族で ...




© 2025 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5

Amazon プライム対象