画人伝・尾張

復古大和絵派の祖・田中訥言

2021/7/10  

田中訥言「源義家雁行乱知伏兵図」名古屋市博物館蔵 江戸時代後期、平安時代以来の伝統を持つ大和絵の古典を学び、大和絵を復興しようとした画家たちを、後の時代に「復古大和絵派」と称した。その先駆者が尾張出身 ...

尾張南画の歳寒三友、竹洞、梅逸、そして伊豆原麻谷

2021/7/10  

伊豆原麻谷「菊花双禽図」 竹洞、梅逸と並び称され、尾張南画の「歳寒三友」の一人とされた「松谷」こと伊豆原麻谷であるが、その経歴に不明な点は多い。三河の農村に生まれ、僧侶になるはずが画の道に入り、当時最 ...

尾張南画の全盛・山本梅逸の門人たち

2021/7/10  

山本梅逸「花卉草虫図」 郷里に帰る竹洞と別れ、全国各地の遊歴の旅に出た梅逸は、京都から大坂、山陽、四国とめぐり、さらに北陸へと足を延ばし、いったん名古屋に戻ったあとは、江戸に姿を現すなど、再上洛するま ...

尾張南画の全盛、中林竹洞・山本梅逸の登場

2021/7/10  

中林竹渓「林和靖図」賛:大倉袖蘭 神谷天遊ら大パトロンの存在により相当量の中国画が尾張の地に蓄積され、画家の研鑚の場も充実、画壇が活況を呈する条件が整えられていった。こうした時代にこの地で若い時期を過 ...

南画家を支援し方向性を示した尾張の豪商・豪農

2021/7/10  

中林竹洞「青緑山水図」名古屋市博物館蔵 尾張南画の発展に大きく寄与したのが、パトロンの存在である。神谷天遊ら大実業家は、自らも画を描くとともに、経済的な面で画家たちを支援し、研究のために明清画など多く ...

尾張南画の変質期

2021/7/10  

山田宮常「花鳥図」 丹羽嘉言らによって誕生した尾張南画だが、天明6年に嘉言が45歳で死去すると、尾張南画は新たな展開を迎えることとなる。南画ばかりでなく、当時の学問や文学にまで大きな影響を残した嘉言だ ...

尾張南画の草創期

2021/7/10  

丹羽嘉言「神洲奇観図」 名古屋を中心とする尾張地方の南画は、江戸中期の明和年間に始まり、幕末・明治に至るまで多彩な展開をみせた。日本南画の創始に重要な役割を果たした彭城百川(1697-1752)も名古 ...

庶民の姿や風俗を描いた尾張藩士・高力猿猴庵

2021/7/10  

高力猿猴庵「御鍬祭図略」 高力猿猴庵「見世物つくし」 江戸が華やかな庶民文化に湧いていた江戸時代後期、名古屋城下においても文化的繁栄の時代を迎えていた。賑やかな祭りや華やかな行列が街を彩り、芝居、見世 ...

尾張の狩野派・町狩野

2021/7/10  

狩野派「梨木禽鳥図屏風」(部分)興正寺蔵 町狩野とは、幕府や藩には所属せずに市井に門をはった狩野派のことで、尾張の吉川家は御用絵師・清野養山の門から吉川知信が出て以来、幕末まで町狩野として家系を続けた ...

尾張の狩野派・代々続く御用絵師

2021/7/10  

神谷晴真「花車図」建中寺蔵 尾張藩主は代々、教養のひとつとして狩野派の技法を学び、狩野派の画人を御用絵師として召し抱えていた。19世紀の後半からは、神谷姓を名乗る二家系が御用絵師の列に加わり、幕末まで ...




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