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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2022/9/3
玉楮象谷「霊芝図」 江戸末期の讃岐漆芸の祖・玉楮象谷(1806-1869)は、幼いころから家業である刀の鞘塗りを父に学び、京都に遊学した際には、多くの文人や芸術家と交流、書画はもとより幅広く美術工芸の ...
2022/9/3
左:馬場景泉「日の出花鳥図」、右:森琴岳「青緑山水図」 讃岐における円山四条派の系譜をみると、まず安芸雲峰の名があげられる。雲峰は寒川郡津田の豪商の家に生まれ、寛政享和年間に活躍した。幼くして円山応挙 ...
2022/9/3
松平頼該 左:瓢鮎図、右:松に鶴図 松平頼該(1809-1868)は高松藩八代藩主・松平頼儀の長男として江戸小石川高松藩邸に生まれ、のちに「左近」と改名した。文武両道で、書画、和歌、俳句、茶道、華道、 ...
2022/9/3
細川林谷「林谷山人紀遊漫画」 細川林谷(1780-1843)は、讃岐国寒川町に生まれ、幼いころから阿部良山に篆刻を学んだ。その篆刻は「正雅典則一世に鳴る人皆宇内第一」と称され、頼山陽、篠崎小竹、田能村 ...
2022/9/3
讃岐の歴史の中で「書聖」と称された人物が二人いる。一人は空海であり、もう一人は後藤漆谷(1749-1831)である。漆谷は高松の豪商の家に生まれ、幼いころから学問を好み、深井鶏林、後藤芝山に師事、20 ...
2022/9/3
三井飯山「松下高士図」(部分) 京都に出て学んだ讃岐の南画家としては、浦上春琴に学び高弟となった小西松塢をはじめ、春琴門からは、松岡李堂、木村葭郷らが出た。また、田能村竹田に学んだ合葉文山、田能村直入 ...
2022/9/3
春木南湖「七福神図屏風」(左隻) 春木南湖「七福神図屏風」(右隻) 谷文晁(1763-1840)と並び、「天下の二老」と称された春木南湖(1759-1839)は、伊勢国長島藩主・増山雪斎に抱えられ、そ ...
2022/9/3
三木文柳「鮮魚図(鯛鱸海老図)」 讃岐の南蘋派画人としては、三木文柳(1716-1799)と亀井東溪(1748-1816)が知られている。文柳は、もと阿波の藩士で、幼いころから画を好み、京都に出て修業 ...
2022/9/3
中川馬嶺(1783-1860)も長町竹石の高弟のひとりで、幼いころから竹石に学び、高松松平家の家臣・大久保家に召し抱えられた。門弟には片山豊泉、松原墨江、赤松陶濱、三枝保年、久保梅亭、畑尾茶庵らがいる ...
2022/9/3
佐々木雲屋「花卉図巻」(部分) 長町竹石の高弟として知られる佐々木雲屋(1776-1831)は、幼いころから画を好み、竹石に師事して絵事を学び、「虹の滝」の席画が認められて藩主に召し抱えられた。山水、 ...
2022/9/3
長町竹石「舟曳山水図」 高松藩の家老だった木村黙老が著した『聞ままの記』によると「田中松峯、名ハ正路、號を五峰といふ醤なり京師に遊学して大雅堂(池大雅)に書画を学ふ、當国の漢画ハ我始祖なりといへり」と ...
2022/9/3
高松に生まれた黒田綾山(1755-1814)は、池大雅門下の福原五岳に学び、師の五岳同様に人物画を得意とし、明画、とりわけ美人画の名手とされる銭貢に私淑し、主題、構図、筆法、彩色法などを学んだ。五岳の ...
2022/9/3
鶴洲「文殊菩薩図」 讃岐において、狩野派の画僧・實山と並び称されるのが、土佐派の流れを汲む画僧・鶴洲である。後年の活動から鶴洲を土佐派の画人とするには異論もあるが、鶴洲は、住吉派の祖である住吉如慶の子 ...
2022/9/3
實山「福禄寿図」 讃岐を代表する画僧・實山も狩野派の画人である。實山は江戸の人で、狩野家の養子となったが、のちに実子が生まれたために僧となり、享保年間は高松の見性寺で住職をつとめ、隠居して自性庵に住ん ...
2022/9/3
狩野常眞「叭々鳥図」 江戸時代は幕府の御用絵師に狩野派が登用されていたため、全国的に狩野派の絵師を召し抱える藩が多く、高松藩においても二代藩主松平頼常の頃、もしくは初代頼重の終わり頃に、狩野派の絵師・ ...
2024/12/21
下村為山「俳句革新記念子規庵句会写生図」 愛媛生まれで「俳聖」と称される正岡子規は、単なる俳人としてとらえられる人物ではなかった。新聞記者や雑誌の創刊など多彩な活動をし、絵も描いた。子規のまわりには、 ...
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