- UAG美術家研究所HOME >
- yuagariart
yuagariart
江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2021/7/6
諫山麗吉「沈堕之瀧」大分県立美術館蔵 沈堕の滝は、雪舟も描いている豊後大野市にある名瀑で、諫山は大分県令(知事)・香川真一の依頼によりこの滝を描き、明治10年の県勧業博覧会に出品しているが、現在は残っ ...
2024/12/16
福田平八郎「漣」 大分県の近代日本画史の上に占める福田平八郎の存在は大きい。大分県では明治末期まで幅広い南画の展開がみられ、明治30年代における新日本画運動も弱々しいものだったが、平八郎の登場により、 ...
2021/7/6
高倉観崖 福田平八郎が画壇で注目を受ける以前に、京都で活躍した大分県出身の日本画家として、高倉観崖と牧皎堂がいる。彼らは京都での大分県画壇の草分けともいえる存在で、大分県内で藤原竹郷や松本古村らが興し ...
2021/7/6
首藤雨郊「冬の日の叡山」大分県立美術館蔵 近代日本画の大家・福田平八郎(1892-1974)の才能をいち早く見出し、絵画の道に導いたのは、当時小学校の教諭をしていた首藤雨郊(1883-1943)である ...
2021/7/6
藤原竹郷「菅原道真」竹田津小学校蔵 南画でなければ日本画ではないという空気の強かった南画王国・大分県に、新しい日本画を持ち込み、美術教師として県内に広めた最初の人物は、東国東郡出身の藤原竹郷(1872 ...
2021/7/6
甲斐虎山 大正・昭和期に活躍した大分出身の南画家としては、早い時期から活動を始めていた十市王洋をはじめ、京都画壇で南画の復興に尽くした田近竹邨、東京で真美会を舞台に力を発揮した甲斐虎山、加納雨篷、白須 ...
2021/7/6
石野玉僲「群仙図」 石野玉僲(1883-1949)は、福岡県の出身だが、金光教の布教のために訪れた大分県の久住町や大野町に長く住み、大野町の金光教教会長として活動を続けるとともに、江戸系の南画を描いた ...
2021/7/6
幸松春浦「老子」 田近竹邨らが創設した日本南画院の第1回展に出品した南画家に、大分市出身の幸松春浦(1897-1962)がいる。春浦は、官展に出品するとともに、日本南画院が解散する昭和11年まで毎回出 ...
2021/7/6
田近竹邨「春雲・秋靄」第8回文展出品 大分県立美術館蔵 江戸後期から全国的な流行をみせた南画だったが、明治中頃になると急速に衰えていった。その要因としては、南画理解に不可欠な漢詩の素養が、時代の推移と ...
2021/7/6
十市王洋「浅絳山水図」大分県立美術館蔵 杵築の十市家は、杵築南画の創始者と称される十市石谷(1793-1853)をはじめ、子の王洋・古谷、及びその子たちも画をよくした。杵築藩家臣の家に生まれた十市石谷 ...
2024/12/14
梧斎(右田年英)「新橋元禄舞」 報道錦絵などで人気を博した挿絵画家・右田年英(1862-1925)は臼杵の生まれで、14歳の時に東京に出て、歌川派の月岡芳年の門に学び、水野年方、稲野年恒とともに芳年門 ...
2024/12/11
歌川豊春「観梅図」大分県立美術館蔵 歌川豊春は、浮世絵の一大流派である歌川派の開祖にあたり、門下からは、初代豊国や豊広らが出て、さらにその画系からは国貞、国芳、広重など傑出した絵師を多く輩出している。 ...
2024/12/14
吉原真龍「語らい美人図」 豊後出身の美人画家としては、西国東郡真玉町の吉原真龍(1804-1856)があげられる。真龍は文政期頃に京都に出て三畠上龍に入門し美人画を学んだ。京都を中心に活躍し、嘉永2年 ...
2021/7/6
賀来飛霞「ヤブラン写生図」 本草学とは、中国医学に付属した薬物学で、薬を自然界から入手する以外に方法がなかった時代に、自然界で何が薬として利用できるのかを研究する学問である。奈良時代以前に中国から伝え ...
2021/7/6
狩野常信「鎮田滝図」(模本)京都国立博物館 雪舟等楊(1420-1506)の前半生については不明な点が多く、若いころに京都に出て相国寺の春林周藤に禅を学び、僧としての修業のかたわら、如拙や周文の画を学 ...
2021/7/6
平野五岳「四季山水図(春景図)」大分県立美術館蔵 日田専念寺の僧・平野五岳(1811-1893)は、詩、書、画三分野すべてに傑出しているとして「三絶僧」と称された。詩は白楽天に私淑し、書を独学、画は田 ...
© 2025 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5