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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

大坂南画壇最盛期に指導的役割を果たした岡田米山人

2024/10/28  

岡田米山人「含翠堂図」 天明・寛政期の大坂南画壇は、福原五岳、木村蒹葭堂を中核として若手の画人たちが多数出現した。寛政2年版『浪華郷友録』によると、この頃の南画家としては、岡田米山人をはじめ、福原五岳 ...

伊勢長島藩に招かれ藩校文礼館を再興した十時梅厓

2024/10/25  

十時梅厓「山水図屏風」東京国立博物館 十時梅厓(1749-1804)は、漢学を伊藤東所に、書法を大谷永庵と趙陶斎に、和歌を小沢蘆庵に学び、唐様の書や山水・四君子を得意とした。天明4年頃、陶斎との縁で知 ...

多年戸を閉ざし古画を模写して一家を成した鼎春嶽

2024/10/23  

鼎春嶽「煙霞山水図」 鼎春嶽(1766-1811)は、福原五岳について画を学び、のちに諸流の画法を研究し、多年戸を閉ざして諸家秘蔵の書画を模写して一家を成したという。田能村竹田は『山中人饒舌』と『竹田 ...

五岳の門に学び蘭の栽培にも情熱を燃やした岡熊嶽

2024/10/21  

岡熊嶽「伏見桃畑図」 岡熊嶽(1762-1833)は、福原五岳の門に学び、のちに諸流派の画法を研究した。山水人物を得意とし、作風は師風をしのばせるが、掲載の「伏見桃畑図」をはじめ同門の林閬苑の作品を臨 ...

明画に学び幅の広い奇矯な作画活動を展開した林閬苑

2024/10/18  

林閬苑 左から「蹊橋飛瀑図 那波網川賛」「中国人物図」「瀧山水図」 林閬苑(不明-不明)は、福原五岳に学び、さらに堺の豪商宅の明画を臨摸し、写実的でプリミティブな独自の画風を確立したとされる。長崎派風 ...

医業のかたわら福原五岳に画を学んだ浜田杏堂

2024/10/16  

浜田杏堂「山水図」 浜田杏堂(1766-1814)は、幼くして大坂の医師浜田家の養子となり医業を継いだ。一方で早くから画を好み、福原五岳に師事するとともに元明の山水画や花鳥画を学んで一家を成し、山水花 ...

近世大坂最大の文化サロンを主催した片山北海

2024/10/14  

岡田君章「雪中訪友図」 片山北海(1723-1790)は、越後国に生まれ、京都で折衷学派の儒者・宇野明霞に師事した。明霞没後は招かれて大坂に移り、立売堀で孤松館を開塾した。門弟も多く、藩儒として請われ ...

古今の珍品を多数収蔵した好事家として知られ、大坂の初期南画家の育成にも指導的役割を果たした木村蒹葭堂

2025/1/13  

木村蒹葭堂「西園雅集図」 木村蒹葭堂(1736-1802)は、北堀江瓶橋(現在の大阪市西区)で代々酒造業を営んでいた家に生まれた。通称を坪井屋吉右衛門といい、巽斎などと号したが、新造した書庫の名を「蒹 ...

大坂における南画壇隆昌の先鞭をつけた福原五岳

2024/10/9  

福原五岳「洞爺湖図」 福原五岳(1730-1799)は、備後国尾道(現在の広島県尾道市)に生まれ、京都に出て池大雅に学び、大雅随一の弟子と評された。その後大坂に移り大雅風を広め、大坂の南画壇隆昌の先鞭 ...

唐様の書の第一人者で書画・篆刻に優れた趙陶斎

2024/10/7  

趙陶斎「水墨山水図」 趙陶斎(1713-1786)は、来泊清人と花魁との間に生まれたとされ、幼いころ父母と死別し、長崎で竺仙禅師について出家し黄檗僧となった。宇治の萬福寺を経て、江戸で十数年を過ごした ...

大坂の長崎派に連なる画人として異彩を放った葛蛇玉

2024/10/4  

葛蛇玉「山高水長図」関西大学図書館蔵 葛蛇玉(1735-1780)は、はじめ橘守国と鶴亭に師事し、その後宋元の古画を研究した。鯉を好んで描き、鯉翁と呼ばれたという。残っている作品は少なく、山水図は掲載 ...

沈南蘋の影響を受け極彩色の花鳥画を残した泉必東

2024/10/2  

泉必東「花鳥図」 泉必東(不明-1764)は、清人銭氏の子孫と伝わっており、『要略』では銭必東と記されている。幼少の頃から画を好み、諸国を遊歴して画技を磨き、特に沈南蘋の影響を受けて山水花鳥を得意とし ...

最も早い時期に沈南蘋の画風を京坂に伝えた佚山

2024/9/30  

佚山「竹鶴図」 佚山(1702-1778)は、俗名を森脩来といい、出家して天王寺東門の黄檗宗見友寺に住み、佚山と名乗った。篆刻を得意とし、大坂で篆刻・隷書で名を成した新興蒙所の流れを汲み、趙崔光の説文 ...

大坂における四条派隆盛の基盤を築いた西山芳園

2024/9/27  

西山芳園「龍安寺雪中図」黒川古文化研究所蔵 西山芳園(1804-1867)は、本町辺りの木綿問屋に生まれ、幼い頃つとめていた奉公先で画を描くことを勧められ、大坂琳派の中村芳中に師事した。師の「芳」の一 ...

多くの版本を残した浦川公左ら上田公長の門人

2024/9/25  

浦川公左(佐)『上方画稿帖』の一部 上田公長には、子の公圭をはじめ多くの門人がいたが、詳しい経歴が伝わっているものは少ない。門人のひとりである浦川公左(佐)は、公長に画を学び、山水人物を得意とし、嘉永 ...

写生を本領とし『公長画譜』を出版した上田公長

2024/9/23  

上田公長『公長画譜』の一部 上田公長(1788-1850)は、大坂船場の木綿問屋6代目・阿波屋忠次郎の長男として生まれ、天保頃は南久太郎町に住み、嘉永頃は道修町で暮らした。『上田公長正伝』によると、中 ...

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