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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2024/12/16
畠山錦成(1897-1995)は、金沢市蛤坂町(現在の寺町)に生まれ、上京して東京美術学校日本画科に入学、はじめ新大和絵の開拓に力を入れていた松岡映丘の教室で、ついで洋画の表現を取り入れた新日本画の創 ...
2023/3/6
大正期に入ると、それまで石川県画壇で大きな影響力を持っていた北陸絵画協会の活動がマンネリ化していき、新鮮味が薄れ、画壇はやや停滞気味になっていた。中央では、文展が帝展、新文展と改変されるなか、横山大観 ...
2024/12/11
紺谷光俊(1890-1945)は、金沢市に生まれ、はじめ高村右暁に画の手ほどきを受け、大正初期から数年間京都に出て山元春挙に師事し、文展にも入選して中央画壇でも認められる存在となった。大正6年に金沢に ...
2023/2/24
玉井敬泉(1889-1960)は、金沢市下堤町に生まれた。生家は紅屋という染物屋で、日本画家の玉井紅嶙は実兄にあたる。敬泉も兄の影響で早くから画に興味を持ち、石川県立工業学校図案絵画科に入学して東京か ...
2023/2/22
相川松瑞(1894-1969)は、木彫家・相川松濤の二男として金沢市に生まれ、幼いころから画に親しみ、石川県立工業学校図案絵画科に入学したが、やがて中退し、自然万象を師として自然研究所を設立、「自然」 ...
2024/12/14
広田百豊(1876-1955)は、石川県江沼郡山中村(現在の加賀市)に生まれ、石川師範学校卒業後は小学校の教師をつとめ、30歳余りで校長となったが、画業に専念するため京都に出て、はじめ岸浪柳渓に学び、 ...
2024/12/11
北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...
2023/2/15
池田瑞月(1877-1944)は、明治10年に石川郡南新保村(現在の金沢市南新保町)の大工棟梁の三男として生まれた。その後、明治38年に京都に出て木島桜谷に師事したことは分かっているが、それまでの足取 ...
2023/2/10
巌如春(1868-1940)は、金沢市竪町の浮世絵師の家に生まれた。巌家は、祖父・父の二代続けて御用槍師を営んでいたが、父の甚蔵は廃藩によって槍師を廃業し、梅翁と号して絵師に転職した。明治に入り消防十 ...
2024/4/11
明治24年、岡倉天心を会頭に革新的な日本画を目指した美術研究団体「日本青年絵画協会」が結成され、それが明治29年に「日本絵画協会」へと発展し、全国的な規模で絵画共進会を開催するようになった。 一方、東 ...
2024/12/14
明治31年頃、金沢で新しい日本画の団体・北陸絵画協会が結成された。これは、石川県立工業学校の教師として金沢に赴任していた山田敬中が中心となり、地元の画家たちが集結して結成されたもので、昭和初期まで展覧 ...
2023/2/3
明治期に東京美術学校で学んだ石川県の日本画家としては、金沢出身の岡本秋石(1868-1940)が、明治22年の同校開校と同時に第1回生として入学している。同期には横山大観、菱田春草、下村観山らがいた。 ...
2023/2/1
田村彩天(1889-1933)は、金沢市に生まれ、石川県立工業学校図案絵画科を卒業後、東京美術学校日本画科に進み、同校卒業後は寺崎広業に師事した。大正9年、第2回帝展で初入選を果たし、その後も帝展で2 ...
2024/12/14
吉田秋光(1887-1946)は、金沢区浅野町(現在の金沢市小橋町)に生まれ、石川県立工業学校図案絵画科を卒業後、東京美術学校日本画科に進学した。同期に同郷の安井雪光がいた。同校卒業後は、一時京都府立 ...
2023/1/27
安井雪光(1887-1952)は、金沢市本多町に生まれ、石川県立工業学校図案絵画科を卒業後、東京美術学校日本画科に進学した。同校卒業後は、岡山市の小学校に赴任して大正6年までつとめたが、翌年には金沢に ...
2023/1/25
武藤直信(1885-1971)は、石川県立工業学校図案絵画科を卒業後、東京美術学校日本画科に進み、郷土出身の島田佳矣に師事した。師の島田佳矣は、明治22年の東京美術学校開設とともに同校に進学し、卒業後 ...