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父又兵衛の跡を継ぎ福井藩につかえた岩佐勝重
2023/5/8
岩佐勝重「猿猴芦雁図」東京国立博物館蔵 岩佐又兵衛没後は、子の岩佐勝重(不明-1673)が岩佐派を継いで、狩野派と並んで福井藩の御用絵師として、福井城障壁画の制作などを手がけた。しかし、その活動は専ら ...
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風俗画の分野に新境地を開き、浮世絵の開祖と称された岩佐又兵衛
2023/5/5
岩佐又兵衛「花見遊楽図屏風」(部分) 岩佐又兵衛(1578-1650)は、大和絵と漢画を折衷したような独特の画風で風俗画の分野に新境地を開き、「浮世又兵衛」の異名をとり、一世を風靡した。浮世絵の祖、大 ...
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福井藩の御用絵師をつとめた狩野家と奈須家
2023/5/3
狩野元昭「十六羅漢図襖」福井市大安禅寺蔵 福井藩最初の御用絵師となった狩野了之が没した後は、江戸で狩野安信に学んだ嫡男の狩野元昭(1623-1681)がその跡を継承した。元昭の跡は長子の竹雲が相続した ...
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福井藩最初の御用絵師・狩野了之
2023/5/1
狩野了之「布袋図」福井市大安禅寺蔵 福井狩野派の元祖にあたる狩野了之(不明-1660)は、狩野光信門下の高弟・渡辺了慶の子として京都に生まれ、自らも光信に学んだ。京都において画名が高く、狩野姓を許され ...
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曾我派の流れを汲むとされる敦賀の鷹絵師・橋本長兵衛
2023/4/27
初代橋本長兵衛「架鷹図」敦賀郷土博物館蔵 越前敦賀を中心に活躍した画派に橋本派がある。初代の橋本長兵衛(不明-不明)は曾我派の流れを汲むとされ、鷹図を得意とした。二代長兵衛も初代と同様に鷹図を得意とし ...
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越前若狭で活躍した小栗宗湛を祖とする小栗派
2023/4/17
〔参考図版〕芸愛「四季花鳥図屏風」(部分)京都国立博物館蔵 越前曾我派が一乗谷及び北庄城下で水墨画の世界を展開していた頃、若狭では、曾我派初代の墨溪と同じく京都で周文に学んだ小栗宗湛(1413-148 ...
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桃山時代に泉州堺で新たな曾我派を興した曾我直庵
2023/4/13
曾我二直庵「鷹図」敦賀市立歴史民俗資料館蔵 墨溪を祖とする越前曾我派は、天正元年(1573)の朝倉氏滅亡とともに一乗谷から姿を消したが、この時の曾我派の絵師としては、4代宗誉と5代紹祥が想定されている ...
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越前曾我派の始祖とされる墨溪
2023/4/10
墨溪「達磨像」真珠庵蔵 越前国(福井県)は元来、室町幕府の三菅領家のひとつである斯波氏が守護だったが、斯波氏の内紛に乗じて重臣の朝倉敏景が守護の座を奪い、本居を黒丸から一乗谷に移し、以後5代約100年 ...
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煌びやかな人物表現を展開した高光一也
2023/3/31
高光一也「フードの女Ⅰ」石川県立美術館蔵 高光一也(1907-1986)は、金沢市専称寺の住職の子として生まれ、石川県立工業学校図案絵画科に学んだ。同校卒業後は金沢市内の小学校の美術教師をしながら制作 ...
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第二紀会(現在の二紀会)を創立するなど戦後の日本洋画壇をリードした宮本三郎
2023/3/27
宮本三郎「婦女三容」小松市立宮本三郎美術館蔵 宮本三郎(1905-1974)は、小松市の農家に生まれ、旧制小松中学校に入学したが2年で中退し、画家を志して兄の住む神戸を経て上京、川端画学校洋画部に入学 ...