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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2023/5/1
狩野了之「布袋図」福井市大安禅寺蔵 福井狩野派の元祖にあたる狩野了之(不明-1660)は、狩野光信門下の高弟・渡辺了慶の子として京都に生まれ、自らも光信に学んだ。京都において画名が高く、狩野姓を許され ...
2023/4/27
初代橋本長兵衛「架鷹図」敦賀郷土博物館蔵 越前敦賀を中心に活躍した画派に橋本派がある。初代の橋本長兵衛(不明-不明)は曾我派の流れを汲むとされ、鷹図を得意とした。二代長兵衛も初代と同様に鷹図を得意とし ...
2023/4/17
〔参考図版〕芸愛「四季花鳥図屏風」(部分)京都国立博物館蔵 越前曾我派が一乗谷及び北庄城下で水墨画の世界を展開していた頃、若狭では、曾我派初代の墨溪と同じく京都で周文に学んだ小栗宗湛(1413-148 ...
2023/4/13
曾我二直庵「鷹図」敦賀市立歴史民俗資料館蔵 墨溪を祖とする越前曾我派は、天正元年(1573)の朝倉氏滅亡とともに一乗谷から姿を消したが、この時の曾我派の絵師としては、4代宗誉と5代紹祥が想定されている ...
2023/4/10
墨溪「達磨像」真珠庵蔵 越前国(福井県)は元来、室町幕府の三菅領家のひとつである斯波氏が守護だったが、斯波氏の内紛に乗じて重臣の朝倉敏景が守護の座を奪い、本居を黒丸から一乗谷に移し、以後5代約100年 ...
2025/3/27
高光一也「フードの女Ⅰ」石川県立美術館蔵 高光一也(1907-1986)は、金沢市専称寺の住職の子として生まれ、石川県立工業学校図案絵画科に学んだ。同校卒業後は金沢市内の小学校の美術教師をしながら制作 ...
2024/12/14
宮本三郎「婦女三容」小松市立宮本三郎美術館蔵 宮本三郎(1905-1974)は、小松市の農家に生まれ、旧制小松中学校に入学したが2年で中退し、画家を志して兄の住む神戸を経て上京、川端画学校洋画部に入学 ...
2023/3/23
飛鳥哲雄「手鏡」 飛鳥哲雄(1895-1997)は、金沢市に生まれ、石川県立工業学校図案絵画科を卒業し、東京美術学校に進学、同校卒業後は三越呉服店美術部に入社した。二科展に出品するなど活発な制作活動を ...
2023/3/20
伊東哲「高原」石川県立美術館蔵 大正期に入ると、石川県出身の洋画家たちのなかでも、東京美術学校出身の画家たちを中心に、文展・帝展で入選、入賞する画家たちが出てくる。大正5年第10回文展では伊東哲(18 ...
2023/3/15
早田楽斎「大田美濃里肖像」金沢大学医学部記念館蔵 早田楽斎(1872-1946)は、加賀藩士の家に生まれ、幼いころから南画家の青山観水について画を学んだ。石川県専門学校に入学して得田耕と出会い、その才 ...
2023/3/13
佐々木三六「教室」 福井市に生まれた佐々木三六(1860-1928)は、父親の転勤に伴い上京し、その後、語学修得のためイタリアに留学し、トリノ府皇国美術学校で図画と油絵を学んだ。帰国後は内務省勤務など ...
2023/3/10
小松砂丘「白山山麓風景図」 小松砂丘(1896-1975)は、金沢市に生まれ、13歳で木地挽物師に徒弟奉公し、木地職人として挽物業に従事するかたわら、俳諧に親しみ、さらに、俳画、日本画、焼物、篆刻など ...
2024/12/16
畠山錦成「鵜」石川県立美術館蔵 畠山錦成(1897-1995)は、金沢市蛤坂町(現在の寺町)に生まれ、上京して東京美術学校日本画科に入学、はじめ新大和絵の開拓に力を入れていた松岡映丘の教室で、ついで洋 ...
2023/3/6
山科杏亭「朝霧図」石川県立美術館蔵 大正期に入ると、それまで石川県画壇で大きな影響力を持っていた北陸絵画協会の活動がマンネリ化していき、新鮮味が薄れ、画壇はやや停滞気味になっていた。中央では、文展が帝 ...
2024/12/11
紺谷光俊「化粧」培広庵コレクション 紺谷光俊(1890-1945)は、金沢市に生まれ、はじめ高村右暁に画の手ほどきを受け、大正初期から数年間京都に出て山元春挙に師事し、文展にも入選して中央画壇でも認め ...
2023/2/24
玉井敬泉「山の秋」石川県立美術館蔵 玉井敬泉(1889-1960)は、金沢市下堤町に生まれた。生家は紅屋という染物屋で、日本画家の玉井紅嶙は実兄にあたる。敬泉も兄の影響で早くから画に興味を持ち、石川県 ...
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