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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2023/8/9
代々彦根藩主をつとめた井伊家に仕えた絵師については、その全貌はよくわかっていない。江戸の中橋狩野家をはじめ、狩野派の系統の絵師が召し抱えられていたとみられるが、新興の流派の絵師も採用されている。なかで ...
2023/8/7
広瀬柏園(1801-1871)は、彦根城下に生まれた。彦根藩士の子とされていたが、四十九町(現在の城町)に住んでいた町人代官の広瀬治良右衛門順固の子という説が有力となってきている。父は岸駒に師事した画 ...
2023/8/4
中島来章(1796-1871)は、大津または信楽に生まれたと伝わっているが、出生地は定かではない。幼いころから画を好み、9歳の時に画を学ぶため京都に出たという。京都では円山応挙門下の十哲に数えられる渡 ...
2023/8/2
桃山時代から続く京狩野家は、初代山楽、2代山雪、3代永納と活躍したが、次第にその活動は低迷していった。一方で江戸に下った狩野派は、江戸幕府の御用をつとめ、江戸狩野として江戸時代を通じて大きな力を持ち続 ...
2023/7/31
織田瑟々(1779-1832)は、近江国神崎郡御園村川合寺(現在の東近江市川合寺)に、津田貞秀の長女として生まれた。津田家の先祖は織田信長の九男信貞にはじまり、豊臣秀吉の時に神崎郡内の御園荘に領地をも ...
2023/7/28
張月樵(1765or1772-1832)は、彦根城下の表具師・総兵衛の子として生まれた。幼いころから画を好み、同郷の市川君圭に学び、その後京都に出て与謝蕪村門下の松村月渓に師事し、師の号から一字とって ...
2023/7/26
山縣岐鳳(1776-1847)は、京狩野の画人・山縣頼章の子として京都に生まれた。父の頼章は伏見宮家の邦頼親王に仕えていたが、天明8年の天明の大火を機に一家で京都から長浜に移住した。岐鳳は長浜で父に画 ...
2023/7/24
放浪の画人で「近江蕪村」と称された浄土宗の僧・横井金谷(1761-1832)の生涯を知るうえで参考になるのが、金谷が自ら著した『金谷上人御一代記』である。同書は、挿画入りで面白おかしくつづられており、 ...
2023/7/21
大津で「九老さん」と親しみを込めて呼ばれている画人・紀楳亭(1734-1810)は、山城の鳥羽に生まれ、与謝蕪村に画と俳諧を学んで京都で活動していたが、天明8年の天明の大火を機に、蕪村門下で同門だった ...
2023/7/19
市川君圭(1736-1803)は、坂田郡醒井村大字醒井(現在の米原市)に生まれた。醒井は中山道の宿場があった宿場町で、加茂神社境内から湧き出る名水「居醒の清水」でも知られている。 君圭が誰に画を学んだ ...
2024/12/11
月岡雪鼎(1710-1787)は、滋賀県蒲生郡大谷村(現在の日野町大谷)に生まれた。本姓は木田といい、号は信天翁、露仁斎などたくさんあるが、雪鼎がもっとも知られている。姓の「月岡」も最初は号で、故郷の ...
2024/11/13
高田敬輔(1674-1755)は、近江日野(現在の滋賀県蒲生郡日野大窪町杉野神)に生まれた。祖先は藤原氏の出自で、永禄年間に高田姓となり、織田信長に従って尾張にいたが、敬輔の曽祖父の代になって近江日野 ...
2023/7/12
井伊家は、初代直政から最後となった17代藩主直憲まで14代にわたり彦根藩主をつとめたが、そのなかで画を嗜み、作品を残している藩主としては、6代藩主直恒、9代藩主直惟、13代藩主直幸(英)がいる。確認で ...
2023/7/10
江戸時代の早い時期に活躍した彦根の画人としては、森川許六(1656-1715)がいる。許六は彦根藩士の子として彦根城下に生まれ、若いころから漢詩を学び、画は江戸の中橋狩野家の狩野安信に学んだとされる。 ...
2023/7/7
「彦根屏風」は、代々彦根藩主だった井伊家に伝来したことからこの名がある。江戸時代の寛永年間(1624-1644)の制作と考えられており、注文主は明らかになっていないが、江戸時代後期に井伊家が入手したこ ...
2023/7/5
狩野山楽(1559-1635)は、近江浅井家の家臣の子として近江国蒲郡に生まれた。父の木村永光は、浅井長政、豊臣秀吉に仕えた武人で、余技で狩野元信に画を学んだという。山楽は15歳の時に父の縁故で秀吉の ...