• ホーム
  • 当サイトについて
  • 画人伝・INDEX
  • 画家ジャンル別
  • 画風・モチーフ別
  • お問い合わせフォーム

UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

  • 今月の注目画人
  • 江戸以前の画家
  • 物故日本画家
  • UAG美人画研究室

新着記事

夏は完全な裸で過ごした・藤桃洲

2022/8/20  

麻植郡学島二ツ森に住んでいた藤桃洲(1781-1837)は奇人として知られ、数々の愛すべき逸話を残している。桃洲の師である藤桃斎(1752-1820)は、江戸に遊学して画名をあげ、諸国を遊歴したのち京 ...

柴秋邨と周辺の南画家

2025/4/14  

阿波生まれの儒者・柴秋邨(1830-1871)は、幼くして父を失い、貧乏から身をおこして儒者になった。書も画も達人だったが、大酒飲みで酔余の作が多い。門弟が多くて交友も広く、河野鐵兜、藤井藍田らとも親 ...

阿波の儒者・赤松藍州と藤井藍田

2025/4/14  

阿波の儒者・赤松藍州(1787-1858)は京都で頼山陽の父・春水に儒学を、画を中井藍江に学び、阿波に戻って多くの門人を育てた。また、尊攘派の儒者・藤井藍田(1816-1865)は、書を八木巽所に、漢 ...

中林竹洞の門人・藤重春山

2022/8/20  

中林竹洞に学んだ阿波ゆかりの画人としては、京都在住の藩士の家に生まれた藤重春山(1828-1895)がいる。春山は阿波の蜂須賀家に出入りしていた御用町人で、笛の名手として宮中の儀式に招かれたこともあっ ...

山本梅逸門下の阿波の画人

2022/8/20  

尾張南画の全盛期を牽引した中林竹洞(1776-1853)と山本梅逸(1783-1856)は、ともに京都に出て、阿波の貫名海屋をはじめ多彩な文化人たちと交遊し、多くの門人を育てた。山本梅逸門下の阿波ゆか ...

幕末の三筆・貫名海屋

2022/8/20  

市河米庵・巻菱湖とともに幕末の三筆にかぞえられる貫名海屋(菘翁)は、阿波徳島藩の旧家で藤原鎌足以来の系譜を持つ小笠原流の礼方家であった吉井家の二代目当主・直好と藩御用絵師・矢野常博の娘との間に二男とし ...

村瀬栲亭と阿波ゆかりの南画家

2025/4/14  

藩の御用絵師となった南画家は、鈴木芙蓉・鳴門の鈴木家のみだったが、同時代に活躍した阿波ゆかりの南画家としては、京都で学び秋田藩に招かれて儒官となった村瀬栲亭(1744-1819)らがいる。栲亭は晩年に ...

最古の阿波おどり図を描いた御用絵師・鈴木芙蓉

2022/8/20  

藩の絵師は通常幕府にならって狩野派か住吉派から召し抱えられていたが、11代藩主蜂須賀治和は、儒者であり南画家の鈴木芙蓉とその養子・鳴門を徳島藩御用絵師とした。南画は民間において非常に流行していたが、徳 ...

徳島藩船絵師・森崎家と資料

2022/8/20  

森崎家は、徳島藩蜂須賀家に仕えた狩野派の絵師だったが、森崎桃春・春潮父子の時に、蜂須賀斉昌の意向で住吉派に転向した。その森崎家が伝えてきた粉本類が、徳島県立博物館に「森崎家資料」として収蔵されており、 ...

木挽町狩野家と徳島藩の画人

2022/8/20  

徳島藩御用絵師では、佐々木家の佐々木養郭をはじめ、矢野栄教、河野栄寿らは、幕府御用絵師の狩野派のうち最も繁栄したとされる木挽町狩野家の当主・狩野栄川院典信に学んだ。またその後も、記録でわかる限りすべて ...

徳島藩御用絵師の系譜・佐々木家

2025/4/14  

江戸時代になると世情も落ち着き、町絵師も多く出たが、徳島藩・蜂須賀家は将軍家にならい狩野派の画人を御用絵師とした。御用絵師の家系で最も古いのは佐々木家で、元禄頃に始まったとみられる。佐々木家については ...

阿波で最も古い画人

2022/8/20  

記録的に阿波で最も古い画人は、臨済宗の僧・周崇(1345-1423)である。破墨山水や人物画に優れていたという。また、阿波細川家当主の細川成之(1434-1511)も画人として名を残している。雪舟の門 ...

紀伊の近代・日高昌克ら個性的な画家を輩出

2025/3/26  

徳川御三家として栄えた紀伊の地では、紀伊狩野を中心とした御用絵師の系譜が長く続いたが、従来の絵画に飽きたらず新しい表現を探った儒者・祇園南海らを始祖とした南画家の登場や、様々な師系や独修の画家たちが活 ...

紀伊の円山・四条派

2025/3/26  

紀伊の円山・四条派としては、松村景文の門人である鎌田景麟(1808-1864)、景麟に学んだ塩谷景山(不明-不明)、挿図を多く描いた塩路鶴堂らがいる。また、月僊の門に学んだ森月航(不明-1814)も、 ...

紀伊の大和絵師・岩瀬広隆

2022/8/19  

岩瀬広隆は京都で生まれ、20代前半には「菱川清春」の名で、菱川師宣五代目を自称し、多くの版本挿画を手掛ける浮世絵師として京都で活躍した。若くして才能を開花させた広隆は、天保年間に『紀伊国名所図会』の挿 ...

紀伊の南画家たち

2025/3/26  

紀州三大南画家である祇園南海、桑山玉洲、野呂介石を輩出した紀伊には、その門人の他にもさまざまな師系の南画家が活躍した。大江龍眠の実弟で小田海僊に師事した大江霞岳、本草学者で南画をよくした坂本浩雪、『小 ...

« Prev 1 … 79 80 81 82 83 … 89 Next »




カテゴリー

サイト内検索

関連サイト

湯上がり美術談義
UAG美人画研究室
UAG美術家資料棚

人気記事

  • 奄美大島に没した田中一村の話30田中一村02
  • 秋田蘭画の誕生と平賀源内03平賀源内02
  • 第三代白河藩主・松平定信の画事04松平定信02
  • 作戦記録画を6点残した田村孝之介149田村孝之介02
  • 伊藤若冲の贋作を制作して名声を失った市川君圭08市川君圭02
  • 丸木位里・俊が描いた「沖縄戦の図」沖縄戦
  • 伝統と奇想が相克する多彩な画業を展開した反骨の画鬼・河鍋暁斎14河鍋暁斎03
  • 30歳でパリに客死した佐伯祐三150佐伯祐三02
  • 12歳で体験した戊辰戦争を語り伝え、「白虎隊自刃之図」を描いた佐野石峰21佐野石峰02
  • 太宰治の自画像44太宰治02

おすすめ記事

1
能登が生んだ桃山時代を代表する画家・長谷川等伯

長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子となった。雪舟系画人の等春に学んだとされる養父・宗 ...

2
奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

3
新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

4
妖艶で頽廃美漂う画風を展開し、画壇の悪魔派と呼ばれた北野恒富

北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

5
室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

  • ホーム
  • 当サイトについて
  • 画人伝・INDEX
  • 画家ジャンル別
  • 画風・モチーフ別
  • お問い合わせフォーム

UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

© 2025 UAG美術家研究所