花鳥画

尾張南画の全盛・山本梅逸の門人たち

2022/8/12  

山本梅逸「花卉草虫図」 郷里に帰る中林竹洞と別れ、全国各地の遊歴の旅に出た山本梅逸は、京都から大坂、山陽、四国とめぐり、さらに北陸へと足を延ばし、いったん名古屋に戻ったあとは、江戸に姿を現すなど、再上 ...

尾張南画の変質期

2022/8/12  

山田宮常「花鳥図」 丹羽嘉言らによって誕生した尾張南画だが、天明6年に嘉言が45歳で死去すると、尾張南画は新たな展開を迎えることとなる。南画ばかりでなく、当時の学問や文学にまで大きな影響を残した嘉言だ ...

尾張の狩野派・町狩野

2022/8/12  

狩野派「梨木禽鳥図屏風」(部分)興正寺蔵 町狩野とは、幕府や藩には所属せずに市井に門をはった狩野派のことで、尾張の吉川家は御用絵師・清野養山の門から吉川知信が出て以来、幕末まで町狩野として家系を続けた ...

尾張の狩野派・代々続く御用絵師

2022/8/12  

神谷晴真「花車図」建中寺蔵 尾張藩主は代々、教養のひとつとして狩野派の技法を学び、狩野派の画人を御用絵師として召し抱えていた。19世紀の後半からは、神谷姓を名乗る二家系が御用絵師の列に加わり、幕末まで ...

南画隆盛から異色の日本画家を生む土壌へ

2022/8/15  

疋田芳沼 左:矮鶏図、右:山間旅人図 隆盛を極めた東三河の南画だが、明治中期をひとつのピークに、やがて衰退していく。閉塞した郷土画壇を去り、京都や東京の画壇に活路を見出そうとする次代の画家たちも出てき ...

小華が去った後の豊橋画壇

2022/8/15  

左:夏目泰果「鳳来寺山之図」、右:白井永川「孔雀図」 明治15年に渡辺小華が上京した後の豊橋画壇は、小華の直弟子である大河戸晩翠、森田緑雲、植田衣洲らが引き継いで盛り立てた。曲尺手町の呉服屋「八星」で ...

東三河における小華門(1)

2022/8/16  

渡辺小華「花鳥図」 明治7年に渡辺小華が豊橋に移り住み、従来の石峰・文笠一門であった画家たちも南画一色となり、小華門は最盛期を迎える。小華門下では、遠江の山下青厓、豊橋の深井清華、大河戸晩翠、稲田耕山 ...

崋椿系が根付く前の東三河画壇(2)

2022/8/12  

鈴木拳山「竹鶏図」 鈴木拳山(1842-1915)すずき・きょざん 天保13年宝飯郡下地村(現在の豊橋市)生まれ。名は潜、字は子龍。前号に龍雨または成道がある。嘉永5年頃から稲田文笠の門で学び、のちに ...

崋椿系が根付く前の東三河画壇(1)

2022/8/12  

左:恩田石峰「西王母図」、右:稲田文笠「寿帯鳥図」 後に絶大な勢力となる崋椿系が根付く前の東三河では、円山・四條派を学んだ恩田石峰や原田圭岳、そして谷文晁に学んだ稲田文笠らが中心的な画人だった。ほかに ...

小華へと続く崋椿の流れ

2022/8/16  

渡辺小華「渉園九友図」 多くの崋山・椿山門下生を輩出している遠州画壇にあって、渡辺崋山の子であり、崋山没後は福田半香がひきとり椿椿山が指導した渡辺小華へと流れが続いていくことは自然なことだった。遠州画 ...




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