-
唐様の書の第一人者で書画・篆刻に優れた趙陶斎
2024/10/7
趙陶斎「水墨山水図」 趙陶斎(1713-1786)は、来泊清人と花魁との間に生まれたとされ、幼いころ父母と死別し、長崎で竺仙禅師について出家し黄檗僧となった。宇治の萬福寺を経て、江戸で十数年を過ごした ...
-
大坂の長崎派に連なる画人として異彩を放った葛蛇玉
2024/10/4
葛蛇玉「山高水長図」関西大学図書館蔵 葛蛇玉(1735-1780)は、はじめ橘守国と鶴亭に師事し、その後宋元の古画を研究した。鯉を好んで描き、鯉翁と呼ばれたという。残っている作品は少なく、山水図は掲載 ...
-
沈南蘋の影響を受け極彩色の花鳥画を残した泉必東
2024/10/2
泉必東「花鳥図」 泉必東(不明-1764)は、清人銭氏の子孫と伝わっており、『要略』では銭必東と記されている。幼少の頃から画を好み、諸国を遊歴して画技を磨き、特に沈南蘋の影響を受けて山水花鳥を得意とし ...
-
最も早い時期に沈南蘋の画風を京坂に伝えた佚山
2024/9/30
佚山「竹鶴図」 佚山(1702-1778)は、俗名を森脩来といい、出家して天王寺東門の黄檗宗見友寺に住み、佚山と名乗った。篆刻を得意とし、大坂で篆刻・隷書で名を成した新興蒙所の流れを汲み、趙崔光の説文 ...
-
大坂における四条派隆盛の基盤を築いた西山芳園
2024/9/27
西山芳園「龍安寺雪中図」黒川古文化研究所蔵 西山芳園(1804-1867)は、本町辺りの木綿問屋に生まれ、幼い頃つとめていた奉公先で画を描くことを勧められ、大坂琳派の中村芳中に師事した。師の「芳」の一 ...
-
多くの版本を残した浦川公左ら上田公長の門人
2024/9/25
浦川公左(佐)『上方画稿帖』の一部 上田公長には、子の公圭をはじめ多くの門人がいたが、詳しい経歴が伝わっているものは少ない。門人のひとりである浦川公左(佐)は、公長に画を学び、山水人物を得意とし、嘉永 ...
-
写生を本領とし『公長画譜』を出版した上田公長
2024/9/23
上田公長『公長画譜』の一部 上田公長(1788-1850)は、大坂船場の木綿問屋6代目・阿波屋忠次郎の長男として生まれ、天保頃は南久太郎町に住み、嘉永頃は道修町で暮らした。『上田公長正伝』によると、中 ...
-
呉春に学んで一家を成した大坂長堀の佐藤魚大
2024/9/20
佐藤保大(二代魚大)「狐行列」 佐藤魚大(不明-不明)は大坂の人で、呉春に学んで一家を成し、山水人物を得意とした。子にはともに画人の保大と守大がおり、保大は父の号を継いで二代魚大となり、明治期にも活躍 ...
-
摂州池田の四条派・葛野宜春斎
2024/9/18
葛野宜春斎「呉里図」池田市立歴史民俗資料館蔵 葛野宜春斎(1771-1819)は、摂州池田(現在の大阪府池田市)の酒造業の家に生まれ、その頃池田に寓居していた呉春に師事した。呉春に学んだ期間は短かった ...
-
応挙と蕪村の折衷的な写生画を描いた上田耕夫
2024/9/16
上田耕夫「山水図」関西大学図書館蔵 上田耕夫(1759-1831or1832)は、摂州池田の人で長く京都に住み、文政後半頃に家族とともに大坂に引っ越したと思われる。京都に出たのは叔父の大徳寺無学和尚に ...