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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/4/14
山内愚僊「住吉神社」笠間日動美術館蔵 大阪洋画の草創期に活躍した画家としては、浮世絵の月岡芳年門下の鈴木蕾斎(不明-不明)が知られるが、本格的に大阪で洋画がはじまるのは、山内愚僊、松原三五郎が相次いで ...
2025/4/11
森関山「住吉風景図」大阪市立博物館蔵 江戸時代の大坂画壇において重要な流派のひとつである森派は、もともと狩野派風を描いていた森陽信、周峰、祖仙(のちに狙仙に改号)の三兄弟のうち、写生画の作風を確立した ...
2025/4/9
渡辺祥益「淡彩住吉社頭之図」 渡辺祥益(1848-1905)は、渡辺梁益の二男として大坂に生まれた。父の梁益は、京狩野家9代の狩野永岳に学び、禁裏御用をつとめたという。祥益は、父の没後慶応3年に京都に ...
2025/4/7
望月金鳳「孔雀之図」 望月金鳳(1846-1915)は、大坂平野町に接骨医・平野浄恵の二男として生まれた。9歳の頃林仁鳳に円山派の手ほどきを受け「芳林」と号し、その後四条派の西山芳園・完瑛に学び「金鳳 ...
2025/4/4
久保田桃水「大阪風景画帖」 久保田桃水(1841-1911)は、京都に生まれ、四条派の横山清暉に学び、清暉没後は19歳で大阪に移り西山芳園に師事した。明治20年に上京し皇居千種間の欄間や芝離宮洋館の天 ...
2025/4/2
武部白鳳「雨樹栖鷲図」 武部秋畦(1868-1906)、武部白鳳(1871-1927)の兄弟は、歌川派の浮世絵師の流れを汲む画家・武部芳峰の子として大阪に生まれ、兄弟で西山完瑛(参考)の門に学んだ。兄 ...
2025/3/31
西山完瑛「鸚鵡図」 西山完瑛(1834-1897)は、四条派の西山芳園の子として江戸後期の大坂に生まれた。父の芳園は、大坂に四条派を流行らせたとされる画家で、完瑛もその伝統を受け継ぎ、温雅で洒脱な人物 ...
2025/3/28
平井直水「梅花孔雀図」 平井直水(1860-不明)は、30歳で画家を志し深田直城に師事した。孔雀を描くのを得意とし、日本絵画協会などで受賞を重ね、明治40年に日本初の官展として開設された文展の第1回展 ...
2025/3/26
深田直城「水辺芦雁・雪中舩泊」 深田直城(1861-1947)は、近江国の膳所藩士の家に生まれた。8歳の時に京都に出て絵画を習いはじめ、14歳で父の友人である加島菱洲に洋画を学び、翌年森川曽文に師事し ...
2025/3/24
庭山耕園「舞楽図」 庭山耕園(1869-1942)は、現在の兵庫県姫路市に生まれた。庭山家は代々姫路藩の酒井家に仕えており、父は大坂の蔵屋敷の仕事に携わっていたが、明治初年の廃藩で職を失ったため家族で ...
2025/3/21
上田耕冲「箕面山真景図」逸翁美術館蔵 上田耕冲(1819-1911)は、円山応挙門下の上田耕夫の子として京都に生まれた。父に画を学び、父とともに大坂に移ったが、その後死別したため豪商・平野屋五兵衛の援 ...
2025/3/19
赤松雲嶺「金剛山暁色図」 姫島竹外に学んだ南画家としては、竹外門下の双璧とされた山田秋坪、水田竹圃をはじめ、赤松雲嶺、塚口竹香、川本月香、幸松春浦、安田半圃、泥谷文景、姫島竹亭らがいる。 赤松雲嶺(1 ...
2025/3/17
水田竹圃「幽谷早春」 水田竹圃(1883-1958)は、大阪に生まれ、姫島竹外の門に入り南画を学び、竹外門下では山田秋坪とともに双璧とされた。明治45年に中国を巡遊し、帰国後名声を高めたという。大正元 ...
2025/3/14
山田秋坪「柘榴花白鸚鵡図」 山田秋坪(1877-1960)は、豊前国の中津藩士の家に生まれ、幼くして大阪に転居した。父の秋溪(秋佳)に南画と漢学を学び、父の没後は姫島竹外に師事した。日本青年絵画協会展 ...
2025/3/12
姫島竹外「竹溪暁霽図」 姫島竹外(1840-1928)は、筑前国の福岡藩士で代官をしていた姫島家の長男として生まれ、父に二天流の剣法を教わり、藩校・修猷館で学んだ。また画を好み、はじめ村田東圃に学び、 ...
2025/3/10
森琴石「山水図」泉屋博古館東京蔵 森琴石(1843-1921)は、摂津国有馬郡湯元(現在の兵庫県神戸市北区有馬町)の梶家に生まれ、3歳の時に大坂の森家の養子となった。鼎金城に師事して南画を学び、のちに ...
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