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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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幕末の京狩野を支えた狩野永泰

2026/7/24  

狩野永泰(不明-1842or1843)は、江戸時代後期に活躍した京狩野の絵師で、狩野永章(景山洞玉)の子として生まれた。狩野永岳は兄にあたる。京狩野の伝統を受け継ぎながら、室町・桃山時代の狩野派の様式 ...

江戸末期の土佐派の名手と謳われた土佐光孚

2026/7/22  

土佐光孚(1780-1852)は、江戸末期に京都で活躍した土佐派の絵師で、土佐家分家初代の土佐光貞の長男とされ、家職の絵所預を継いだ。ただし、住吉家土佐家伝には光孚は御園玄蕃頭の三男とされていることか ...

京都の風俗画家として知られる春貞二代

2026/7/20  

京都の風俗画家として知られる春貞には二代あり、初代は保川氏で、米商を生業としていたが、絵師を志し、特に肉筆美人画をよくした。二代はその門下の岡本氏で、画名ははじめ信貞といったが、師の遺言によって二代春 ...

上方浮世絵の美人画様式を豊後に伝えた吉原真龍

2026/7/17  

吉原真龍(1804-1856)は、豊後の国東半島(西国東郡真玉村)に生まれ、文政期ころ上洛して三畠上龍に師事した。以後、肉筆美人画を専門に描き、気品のある上龍風の美人画で人気を博し、幕末の京都で活躍し ...

上龍風と呼ばれた美人画様式を確立した三畠上龍

2026/7/15  

三畠上龍(不明-不明)は、江戸時代後期の京都の浮世絵師で、四条派の岡本豊彦に学んだとされる。京都では祇園井特にやや遅れ天保から幕末にかえて活躍した。版画作品はなく、主に肉筆画によって浮世風俗を描き、美 ...

祇園の別称「東街」を冠して呼ばれた東街文輝

2026/7/13  

東街文輝(不明-不明)は、江戸時代後期の京都の絵師で、祇園の別称である「東街」を冠して呼ばれていたと思われる。四条派の画風を思わせる肉筆美人画や、美人掛物絵や掛け取りを描いた版画が残っている。師系は不 ...

女性の容貌をありのまま描いた祇園井特

2026/7/10  

祇園井特(1755-1815?)は、京都祇園で井筒屋という青楼を経営し、淫薬、淫具を商っていたといわれる。井特と号し、祇園に住んでいたことから「祇園井特」と呼ばれた。師系は定かではないが、円山派の画風 ...

西川祐尹、梨木祐為ら西川派の絵師

2026/7/8  

京都の浮世絵界を牽引した西川祐信が形成した西川派の絵師としては、祐信の長男・西川祐尹(不明-1759)が、父の跡を継いで版本の挿絵や肉筆美人画を描いた。また、三男・祐肖も絵師として活動したが、33歳で ...

西川祐信と同時期に活動したとみられる川枝豊信

2026/7/6  

川枝豊信(不明-1732)は、江戸時代中期の京都の絵師で、主に肉筆美人画や版本の挿絵を手掛けた。同時期に活動した西川祐信風の美人画を描いているが、2人の間の影響関係を決定付ける資料は残っていない。井上 ...

上方浮世絵の源流に位置する絵師・西川祐信

2026/7/3  

西川祐信(1671-1750)は、京都の医師の家に生まれ、はじめ狩野永納に、のちに土佐光祐に画法を学んだ。元禄後期から京都の版元・八文字屋刊行の雛形本、評判記、狂言本、浮世草紙などに挿絵を描きはじめ、 ...

破門され早世した原在中の長男・原在正

2026/7/1  

原在正(1778?-1810?)は、原派の祖・原在中の長男で、理由はわからないが父に破門され、原派二代目は弟の在明が継いだ。破門後は三海姓を名乗って活動していたが、30歳代前半で没したため、遺品は少な ...

諸派の画風を融合し原派を形成した原在中

2026/6/29  

原在中(1750-1837)は、京都の酒造家に生まれ、はじめ鶴沢派の石田幽汀に学び、同門の兄弟子・円山応挙に大きな影響を受けたと考えられている。さらに京都の社寺に所蔵されていた中国画を学び、古狩野や土 ...

望月派の画風を変え情緒的な画風を確立した望月玉川

2026/6/26  

望月玉川(1794-1852)は、望月派二代目の望月玉仙の子とも養子とも伝わっている。2歳の時に父と死別したため、村上東洲(不明-1820)に画の手ほどきを受け、のちに岸駒に師事した。19歳の時に長崎 ...

異色の画風で望月派の祖となった望月玉蟾

2026/6/24  

望月玉蟾(不明-1755)は、京都の蒔絵師の家に生まれた。はじめ土佐光成に学び、のちに山口雪溪につき、さらに元・明の画蹟も研究した。儒学者の皆川淇園が書いた「望月玉蟾伝」よると、狩野元信と雪舟を好んだ ...

早い筆運びによる人物画で高い評価を得た河村文鳳

2026/6/22  

河村文鳳(1779- 1821)は、岸駒に師事したが、文化年間前半頃には岸派を離れ、諸派の画風を統合して独自の画風を確立した。人物、山水、花鳥獣などに優れ、特に早い筆運びによる人物画は各方面から高い評 ...

岸駒に師事し岸派三代目を継いだ岸連山

2026/6/19  

岸連山(1804-1859)は、京都に生まれ、若くして岸派初代・岸駒に師事し、技量を見込まれて岸駒の長女で岸良の妻・貞の娘・晴(春)と結婚し、岸派の一員となった。直系ではないが、京都御所の安政度再建の ...

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