画人伝・島根

備中から移り住み画塾を開いた塩田銕香と出雲の門人

2021/7/9  

塩田銕香「天保九如」 備中(岡山県)に生まれた塩田銕香(1850-1889)は、26歳の時に出雲を訪れて以来、この地に住み、画塾を開いて画技の指導をした。このため出雲市近辺では絵画に対する眼識を開いた ...

出雲地方に南画鑑賞の土壌を培った田能村直入と出雲の門人

2021/7/9  

田能村直入「梅花書屋図」白潟天満宮蔵 江戸後期になると、出雲・石見地方でも文人趣味の機運が起こり、この地を訪れる南画家を歓心を持って迎え、揮毫を依頼したり、漢詩や南画の指導を受けたりした。尾張の南画家 ...

出雲を訪れた風外禅師に学んだ横山雲南(黄仲祥)

2021/7/9  

横山雲南(黄仲祥)「楼閣山水図」 出雲地方には白隠慧鶴禅師(1685-1768)の筆による書画がいくつか伝来している。松江市の天倫寺に伝わる「出山釈迦図」「大応・大燈・関山国師図」などで、いずれも白隠 ...

津和野藩御用絵師・大島松溪と藩主亀井家

2021/7/9  

津和野藩御用絵師・大島松溪(1758-1846)は津和野に生まれ、亀井矩貞・矩賢・茲尚の三代の藩主に仕えた。豪放な人柄で、あふれ出る才能は神がかり的だったとも伝わっている。常に大作を心掛け、彫刻も巧み ...

石見の南蘋派・三浦紫えんと門人

2021/7/9  

三浦紫えん「老松に白孔雀」島根県立美術館蔵 石見地方の南蘋派としては、津和野藩士の三浦南溪・紫☆親子がいる。父の南溪は江戸に南蘋派を広めた宋紫石に学び、藩の御用絵師をつとめた。子の紫☆(「☆」は「田」 ...

渡辺崋山と密接に交遊した津和野藩家老・多胡逸斎

2021/7/9  

多胡逸斎「八仙人図」 津和野藩家老・多胡逸斎(1802-1857)は、博識で内外の情報に通じ、藩政においても手腕を発揮、天保の飢饉に際しても藩内は難を逃れたという。書画においても、多くの著名南画家たち ...

駿河台狩野に学んだ津和野藩御用絵師・岡野家六代

2021/7/9  

岡野洞淵(不明-1759)は駿河台狩野の開祖・狩野洞雲益信の門人だったが、津和野藩主・亀井氏のお抱え絵師となり、その後岡野家は六代に渡って津和野藩に仕えた。第三代の岡野洞山美高(1770-1856)は ...

四条派を学んだ上代英彦と出雲の門人

2021/7/9  

上代英彦「鶏図」 上代英彦(1819-1883)は5年間堀江友声に学んだのち、京都に出て四条派の岡本豊彦に師事した。田能村直入、中西耕石らと交友し研鑽を積んだが、病弱だったため帰郷し、晩年は大東町で過 ...

諸国を遊歴し多くの門人を残した堀江友声

2021/7/9  

堀江友声「龍虎図」島根県立美術館蔵 大原郡大東町に生まれた堀江友声(1802-1873)は、14歳の時に松江に住んでいた狩野派の竹内衡山に入門、衡山の没後は京都に出て狩野派の山本探淵に師事した。また、 ...

母里藩御用絵師・長塩雪山と安来の門人

2021/7/9  

長塩雪山「宇治川合戦図」 松江藩の支藩である母里藩の御用絵師をつとめた長塩雪山(1774-1833)は京都に生まれたが、安来の医師・原氏方に寄宿していた父の近江屋太右衛門を慕い安来に移り住んだところ、 ...




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