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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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動物の生態を研究し写生につとめた望月金鳳

2025/4/7  

望月金鳳(1846-1915)は、大坂平野町に接骨医・平野浄恵の二男として生まれた。9歳の頃林仁鳳に円山派の手ほどきを受け「芳林」と号し、その後四条派の西山芳園・完瑛に学び「金鳳」と号した。17歳の時 ...

古き浪速の名勝地を描き人気を博した久保田桃水

2025/4/4  

久保田桃水(1841-1911)は、京都に生まれ、四条派の横山清暉に学び、清暉没後は19歳で大阪に移り西山芳園に師事した。明治20年に上京し皇居千種間の欄間や芝離宮洋館の天井画を手掛け、一方で内外各種 ...

西山完瑛に学んだ武部秋畦・白鳳兄弟

2025/4/2  

武部秋畦(1868-1906)、武部白鳳(1871-1927)の兄弟は、歌川派の浮世絵師の流れを汲む画家・武部芳峰の子として大阪に生まれ、兄弟で西山完瑛(参考)の門に学んだ。兄の秋畦は、朝日新聞社で挿 ...

船場派を率いる先達の役割を果たした西山完瑛

2025/3/31  

西山完瑛(1834-1897)は、四条派の西山芳園の子として江戸後期の大坂に生まれた。父の芳園は、大坂に四条派を流行らせたとされる画家で、完瑛もその伝統を受け継ぎ、温雅で洒脱な人物花鳥を得意とし、西山 ...

平井直水、大塚春嶺ら深田直城の門人

2025/3/28  

平井直水(1860-不明)は、30歳で画家を志し深田直城に師事した。孔雀を描くのを得意とし、日本絵画協会などで受賞を重ね、明治40年に日本初の官展として開設された文展の第1回展では大阪唯一の入選者とな ...

大阪四条派の重鎮として後進を育成した深田直城

2025/3/26  

深田直城(1861-1947)は、近江国の膳所藩士の家に生まれた。8歳の時に京都に出て絵画を習いはじめ、14歳で父の友人である加島菱洲に洋画を学び、翌年森川曽文に師事して四条派の写生画法を学んだ。18 ...

終生「船場の絵描き」として生きた庭山耕園

2025/3/24  

庭山耕園(1869-1942)は、現在の兵庫県姫路市に生まれた。庭山家は代々姫路藩の酒井家に仕えており、父は大坂の蔵屋敷の仕事に携わっていたが、明治初年の廃藩で職を失ったため家族で大阪北船場に転居した ...

写生的な作風で「精細麗艶」といわれた上田耕冲

2025/3/21  

上田耕冲(1819-1911)は、円山応挙門下の上田耕夫の子として京都に生まれた。父に画を学び、父とともに大坂に移ったが、その後死別したため豪商・平野屋五兵衛の援助で長山孔寅に学んだと伝わっている。一 ...

赤松雲嶺、塚口竹香、川本月香ら姫島竹外の門人

2025/3/19  

姫島竹外に学んだ南画家としては、竹外門下の双璧とされた山田秋坪、水田竹圃をはじめ、赤松雲嶺、塚口竹香、川本月香、幸松春浦、安田半圃、泥谷文景、姫島竹亭らがいる。 赤松雲嶺(1892-1958)は、8歳 ...

姫島竹外門下で山田秋坪とともに双璧とされた水田竹圃

2025/3/17  

水田竹圃(1883-1958)は、大阪に生まれ、姫島竹外の門に入り南画を学び、竹外門下では山田秋坪とともに双璧とされた。明治45年に中国を巡遊し、帰国後名声を高めたという。大正元年の第6回文展で初入選 ...

姫島竹外に学び花鳥画を得意とした山田秋坪

2025/3/14  

山田秋坪(1877-1960)は、豊前国の中津藩士の家に生まれ、幼くして大阪に転居した。父の秋溪(秋佳)に南画と漢学を学び、父の没後は姫島竹外に師事した。日本青年絵画協会展や内国勧業博覧会で受賞を重ね ...

近代大阪南画壇の重鎮として活躍した姫島竹外

2025/3/12  

姫島竹外(1840-1928)は、筑前国の福岡藩士で代官をしていた姫島家の長男として生まれ、父に二天流の剣法を教わり、藩校・修猷館で学んだ。また画を好み、はじめ村田東圃に学び、のちに石丸春牛に師事した ...

南画のほか銅版画も手掛け地図や刊行物を残した森琴石

2025/3/10  

森琴石(1843-1921)は、摂津国有馬郡湯元(現在の兵庫県神戸市北区有馬町)の梶家に生まれ、3歳の時に大坂の森家の養子となった。鼎金城に師事して南画を学び、のちに忍頂寺静村にもついた。また、高木退 ...

跡見学園の一期生となり花蹊に書画を学んだ波多野華涯

2025/3/7  

波多野華涯(1863-1944)は、元水戸藩士で銅の商人をしていた波多野善四郎の長女として大坂に生まれた。単身上京し、明治8年に跡見花蹊が神田猿楽町に開校した跡見学校(のちの跡見学園)に第一期生として ...

跡見学園を創設し女子教育と絵画指導に尽力した跡見花蹊

2025/3/5  

跡見花蹊(1840-1926)は、摂津国西成郡木津村(現在の大阪市浪速区・西成区)で私塾を営む跡見重敬の二女として生まれた。幼いころから学問を好み、父に三字経や孝経を学び、父の私塾を手伝った。12歳で ...

大阪画壇を代表する女性画家として活躍した河辺青蘭

2025/3/3  

河辺青蘭(1868-1931)は、徳川幕府の御用銅吹業を営んでいた河辺伊右衛門の三女として改元前の大坂南堀江(現在の西区)に生まれた。幼いころから画を好み、10歳で巽蓼湾に絵画と茶技を学び、さらに橋本 ...

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奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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