祭・宴会図

函館で活躍した代表的アイヌ絵師・平沢屏山

2021/7/6  

平沢屏山「挨拶図」この図は、アイヌの挨拶の様子を描いたもので、男性同士が互いに膝を擦り合わせあう再会の挨拶、正装での対面の挨拶、女性同士の挨拶などが描かれている。儀礼などにおける男性の正式な座位は胡坐 ...

佐伯祐三と行動を共にしフランスで客死した横手貞美

2021/7/11  

横手貞美「フランス革命記念の集い」 昭和2年、横手貞美(1899-1931)は、東京美術学校を卒業したばかりの荻須高徳(1901-1986)、山口長男(1902-1983)とともに、横浜港からパリへ向 ...

筑前秋月藩御用絵師・斎藤秋圃と門人

2021/7/6  

斎藤秋圃「七福神酒宴図」 筑前秋月藩の御用絵師・斎藤秋圃(1769-1861)は、京都に生まれ、円山応挙に学び、応挙没後は森狙仙に師事したと伝えられる。大坂時代の秋圃は、新町遊郭の風俗を題材とした「葵 ...

浪速の町絵師・菅楯彦

2021/7/9  

菅楯彦「春宵宜行」 鳥取に生まれた菅楯彦(1878-1963)は、幼くして父で日本画家の菅盛南とともに大阪に移住した。父の没後は特定の師にはつかず、諸派の画法を研究し、独自のスタイルを確立した。常に勉 ...

四条派を学んだ青木図南と門人の菅盛南

2021/7/9  

青木図南「風神雷神図」 京都に出て四条派の柴田義董に学んだとされる青木図南(1790-1859)は、特に人物画を得意とし、一見して誰を描いたかが分かるほどの技量だったと伝わっている。しかし、同時代の鳥 ...

四条派を学んだ杉野怡雲ら福山藩士

2021/7/9  

杉野怡雲 福山藩では藩士のなかに四条派を学んだものが多い。杉野怡雲(1791-1865)は家督を弟に譲り、京都に出て松村呉春、岡本豊彦に学んだ。帰郷後は城北丘上に住み、藩士・町人を問わず交遊し、詩酒や ...

土佐南画の流れ、楠瀬南溟から松村蘭台へ

2021/7/9  

松村蘭台「飲中八仙図」高知県立美術館蔵 中山高陽亡き後の土佐の南画は、大坂に出て木村兼葭堂、福原五岳ら池大雅系の文人たちと交流した楠瀬南溟(1743-1790)にはじまり、門人の松村蘭台、子の楠瀬大枝 ...

最古の阿波おどり図を描いた御用絵師・鈴木芙蓉

2022/8/20  

鈴木芙蓉「阿波盆踊図」賛:那波網川寛政8年(1796)に「酔画」として描かれた。「阿波おどり」を描いた最古の絵画作品とされる。 藩の絵師は通常幕府にならって狩野派か住吉派から召し抱えられていたが、11 ...

伊勢に円山・四条派を広めた岡村鳳水と門人たち

2022/8/18  

磯部百鱗 左:伊勢音頭図、右:曾我兄弟之図 岡村鳳水の主な門人である上部茁斎、榎倉杉斎、荘門為斎の門からも優れた画家たちを輩出した。とくに上部茁斎の門から出た林棕林(1814-1898)は、江戸に出て ...

庶民の姿や風俗を描いた尾張藩士・高力猿猴庵

2024/4/25  

高力猿猴庵「御鍬祭図略」 高力猿猴庵「見世物つくし」 江戸が華やかな庶民文化に湧いていた江戸時代後期、名古屋城下においても文化的繁栄の時代を迎えていた。賑やかな祭りや華やかな行列が街を彩り、芝居、見世 ...




© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5

Amazon プライム対象