画人伝・熊本

37歳で急逝した新進気鋭の新派画家・高橋廣湖

2021/7/6  

浦田天鹿(高橋廣湖の前号)「青砥藤綱探銭図」熊本県立美術館蔵 熊本における日本画近代化の流れは、杉谷雪樵がその堰を切り、雪樵没後は門人である近藤樵仙がその路線を引き継いだ。そして、また別の流れの源とな ...

肥後熊本藩最後の御用絵師・杉谷雪樵

2021/7/6  

杉谷雪樵「菊池川水源図」 幕末から明治における熊本画壇は、南画と復古大和絵系が二つの大きな流れを作っていたが、熊本藩の御用絵師をつとめていた矢野派の画家たちも画壇の一翼をになっていた。その矢野派本流の ...

遅れてきた南画家・竹冨清嘯、流浪の南画家・山田王延章

2021/7/6  

竹冨清嘯「越山雪中景図」 竹冨清嘯(1833-1899)は、梶山九江とともに、明治期の熊本南画の双璧と謳われているが、九江が藩御用絵師の家に生まれ、門人も多数育成、明治中期の南画界を背負ってたった存在 ...

熊本南画の第一人者・梶山九江

2021/7/6  

梶山九江「寒山萬木図」島田美術館蔵 熊本近代南画は、幕末から明治初期に活躍した佐々布篁石を嚆矢として、明治南画家の双璧と謳われる梶山九江、竹冨清嘯らに引き継がれ、熊本画壇において南画は一大勢力となった ...

近代熊本南画の嚆矢・佐々布篁石

2021/7/6  

佐々布篁石「松林群鶴図」熊本県立美術館蔵 江戸時代後期、熊本は時習館、再春館を擁し学問の府として知られ、熊本に学ぶべく各地から多くの文人墨客が訪れた。天明2年には佐竹蓬平が長崎から熊本に入り、文政元年 ...

肥後土佐派の祖・福田太華

2021/7/6  

福田太華「蒙古襲来絵詞模本」菊池神社本 熊本における復古大和絵の展開は、文政11年に福田太華(1796-1854)が《蒙古襲来絵詞》の模写を始めたことが始まりとされる。太華は専門の絵師ではなく、熊本藩 ...

肥後の画僧・豪潮と宇土藩主・細川月翁

2021/7/6  

豪潮「文殊菩薩騎獅図」 肥後出身の天台宗の高僧・豪潮(1749-1835)は、書画もよくした。豪潮は天台宗の僧だが、その画題には、禅宗的(釈迦三尊や羅漢図)なものが多くみられる。これは豪潮が交友した珍 ...

肥後狩野の祖・狩野成信

2021/7/6  

狩野成信「源氏物語図屏風」六曲一隻(部分) 熊本城築城の際に、初代藩主・加藤清正が狩野派の絵師を招き入れ障壁画を描かせたことによって熊本での狩野派の活動がはじまったが、寛永9年、加藤氏の改易によって細 ...

矢野派の全盛・五代矢野良勝と衛藤良行

2021/7/6  

矢野良勝「波濤図屏風」(部分) 四代雪叟によって再興された矢野派は、次の五代良勝と雪叟の門人である衛藤良行らの世代に全盛を迎えた。良勝や良行らは、雪叟によって回帰された雪舟風の筆法を修得し、それを基礎 ...

矢野派の再興者・矢野雪叟

2021/7/6  

矢野雪叟「旭日に猛禽図」 三代茂安の時代に衰退していった細川家御用絵師・矢野家だが、茂安の養子・矢野雪叟(1714-1777)が四代目を継ぐと、牧谿や雪舟など和漢の古画の模写などを通じて雪舟流の画風を ...




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