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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2024/1/12
酒井抱一の門人としては、最初期の弟子である鈴木蠣潭、江戸琳派様式の拡大に貢献した鈴木其一、其一と並び称される高弟の池田孤邨らが知られているが、ほかにも寡作ながら抱一の画風をよく伝えている鈴木鶏邨、抱一 ...
2024/12/11
酒井抱一の最初期の弟子である鈴木蠣潭(1792-1817)は、酒井家家臣として抱一の付人をつとめ、抱一の身の回りの世話をしながら画業も手伝っていた。26歳で急逝したため残っている作品は少ないが、優れた ...
2024/12/11
酒井抱一(1761-1829)は、徳川家重臣の名門大名家である酒井家の15代家主忠恭の二男として江戸神田小川町の酒井家別邸に生まれた。代々風雅を愛した酒井家にあって、抱一も幼いころから俳諧や書画をたし ...
2024/1/5
酒井宗雅(1755-1790)は、名を忠以といい、姫路藩主酒井忠恭の嫡子・酒井忠仰の長男として姫路藩の江戸藩邸に生まれた。酒井抱一の兄にあたる。父の忠仰が早世したため、祖父の忠恭の養子となり、明和9年 ...
2023/12/29
千葉龍卜(不明-1800or1808)は、播州赤穂有年原(現在の赤穂市有年原)の明源寺に生まれた。華道を本業とし、京都・大坂を経て江戸に出て「源氏流いけばな」を創始して一世を風靡した。画も巧みで、江戸 ...
2023/12/27
長安義信(1788-1868)は、幼少のころ大坂で土佐派の画人・佐野龍雲について画を学んだ。40歳の時に法橋に叙され、赤穂に戻って花岳寺の門前に住んだ。土佐派以外にも狩野派、写生画派などさまざまな画風 ...
2023/12/25
外内松意ら龍野藩につかえた狩野派の絵師に対し、山村翠谷(1787-1850)は、若いころに京都に遊び、円山派を学んだ。一説には応挙門下十哲のひとり・奥文鳴に師事したという。家は代々播磨国揖東郡中井村( ...
2023/12/22
外内松意(不明-1815)は、播州龍野(現在の兵庫県たつの市の一部)の狩野派で、脇坂家お抱え絵師をつとめた外内家の初代である。藩に絵の修業を命じられ、江戸で長府藩御用絵師の二代笹山養意に師事した。 松 ...
2023/12/20
岡田東虎(1755-1822)は、明石城下西本町(現在の明石市)の旅宿「井筒屋」の子として生まれた。はじめ西宮の勝部如春斎に学び、福原五岳にもつき、のちに大坂の狩野派・吉村周山にも学んだという。人物や ...
2023/12/18
白川芝山(1758-1850)は、淡路国三原郡金屋村(現在の洲本市金屋)の代々酒造業を営む裕福な家に生まれた。はじめ書を学び、唐代の張旭を手本とした。画の師は不明だが、残された作品からすると、画題によ ...
2023/12/11
黒田泊庵(1742-1812)は、淡路国津名郡下物部村の人で、先祖は播州の出身で寛文年間に淡路に移り住んだ。泊庵までに4代を経たが、播州との関わりは続いていたらしく、播州地方にも泊庵の作品が残されてい ...
2023/12/7
斎藤雀亭(1737?-1812)は、長崎出身で兵庫津に移り住み、岡方の魚棚町で医者を業としながら画を描いていたと思われる。菩提寺である神戸市兵庫区の臨済宗・恵林寺に伝わる過去帳には、明和6年(1769 ...
2023/12/4
石田幽汀(1721-1786)は、播磨国明石郡西浦辺組西岡村(現在の明石市魚住町)に生まれた。京都の石田家の養子となり、狩野探幽の流れをくむ鶴沢探鯨に画を学び、写実性に装飾性を加えた画風を確立した。禁 ...
2023/11/27
三橋節子(1939-1975)は、農史研究者・三橋時雄の長女として大阪に生まれ、父の勤務地である京都大学近くの左京区北白川や浄土寺あたりで育った。4歳の時に画を細木成美に、習字を藤井思融に習いはじめた ...
2023/11/23
上田道三(1908-1984)は、彦根市に生まれ、尋常小学校6年の時に京都の義姉のもとに行き、その知人で日本画家の榊原紫峰の紹介で不染鉄の内弟子となり、奈良に居を移した不染について同地で画を学んだ。し ...
2023/11/20
沢宏靱(1905-1982)は、滋賀県坂田郡長浜町神戸(現在の長浜市)に生まれた。15歳の時に京都に出て西山翠嶂(参考)の内弟子となり、昭和6年に第12回帝展で初入選し、その後も3回連続して入選を果た ...