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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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新着記事

円山派2代目を継いだ応挙の長男・円山応瑞

2026/6/1  

円山応瑞(1766-1829)は、円山応挙の長男として生まれ、応挙らが参加した大乗寺の障壁画制作では「鯉の間」を担当し、寛政期の御所造営にも参加した。応挙没後はその跡を継ぎ、応挙と縁のあった妙法院真親 ...

円山応挙の肖像画の作者として知られる山跡鶴嶺

2026/5/29  

山跡鶴嶺(不明-不明)は、円山応挙の高弟で、応挙門下十哲にも数えられている。応挙に連れられて妙法院真仁親王に謁見し、席画もしたと伝わっており、応挙門下が参加した大乗寺の障壁画制作では、長押の上にある横 ...

応挙に学びネズミ図を得意とした白井直賢

2026/5/27  

白井直賢(不明-不明)は、京都の呉服仕立て直し業を営む悉皆屋に生まれた。生没年は不明だが、文政年間に活躍したと思われる。円山応挙に師事し、写実的な描写による鼠の名手として評判になった。掲載の「鼠図」に ...

応挙に学び和様の人物画を得意とした西村楠亭

2026/5/25  

西村楠亭(1775-1834)は、京都の木綿織物を営む家に生まれた。幼いころから画を好み、円山応挙に師事して応挙風の写生画をよくした。なかでも和様の人物画に巧みで、人物画譜も刊行している。応挙門下の十 ...

円山派に漢画、南画の手法を交えて制作した土岐済美

2026/5/22  

土岐済美(不明-不明)は、円山応挙の門人であることのほかは生没年も定かではなく、『平安人物志』などから、およそ文化文政期を中心に活動したとみられる。花鳥画を得意としていたと伝わっているが、人物画に関し ...

応挙門下として大乗寺「仙人の間」を担当した秀雪亭

2026/5/20  

秀雪亭(不明-不明)は、円山応挙の主要な門人のうち、その伝記が最も分かっていない。応挙門下として大乗寺の障壁画制作では「仙人の間」一室を担当し、寛政2年の御所造営の際の障壁画制作にも参加していることか ...

山本守礼の養子となり山本家7代目を継いだ亀岡規礼

2026/5/18  

亀岡規礼(1770-1835)は、京都の糸職人の子として生まれ、円山応挙の門人・山本守礼の養子となり、どういうわけか守礼の生家の亀岡姓を名乗り、守礼没後は山本家7代目を継いだ。山本家は代々狩野派だった ...

円山派に転じた狩野派山本家6代目・山本守礼

2026/5/15  

山本守礼(1751-1790)は、京都の富商の家に生まれ、のちに山本探川の養子となって山本家6代目を継いだ。山本家は京都で代々狩野派の画風を伝えた家で、3代目の山本素軒は尾形光琳の師として知られる。し ...

父蘭洲とともに応挙に師事した吉村孝敬

2026/5/13  

吉村孝敬(1769-1836)は、円山応挙門下の吉村蘭洲の子として生まれた。父と同じく、はじめ狩野派の石田幽汀に学び、のちに応挙に師事し、応挙門下十哲に数えられるようになった。応挙晩年の弟子のひとりで ...

応挙の伝記『仙斎円山先生伝』を著した奥文鳴

2026/5/11  

奥文鳴(1773-1813))は、産科医の子として京都に生まれ、円山応挙に師事した。応挙門下十哲のひとりに数えられる重要な弟子だが、その生涯は不明な点が多い。丁寧な描写による花鳥図を得意としたが、残さ ...

円山派を江戸に広めたとされる渡辺南岳

2026/5/8  

渡辺南岳(1767-1813)は、京都の人で、円山応挙晩年の弟子のひとりで、はじめ源琦に学び、のちに応挙に師事したと思われる。また、尾形光琳に私淑して装飾的な技法も取り入れ、独自の画風を確立した。南岳 ...

応挙門下で優雅な和美人を描いて人気を得た山口素絢

2026/5/6  

山口素絢(1759-1818)は、京都の呉服商に生まれ、円山応挙に師事した。応挙門下十哲のひとりに数えられ、寛政7年の大乗寺の障壁画制作に参加するなど、応挙門下の仕事に力を発揮したが、ひとりの画家とし ...

応挙門下の一番弟子にあたる存在・島田元直

2026/5/4  

島田元直(1735-1819)は、朝廷に仕えていた藤井重好の二男で、島田政直の養子になった。円山応挙門下では一番弟子にあたる存在で、当時かなりの人気絵師だったと思われ、『平安人物誌』には円山応挙、伊藤 ...

円山応挙に学び最も忠実に師風を受け継いだ源琦

2026/5/1  

源琦(1747-1797)は、京都の根付職人の子として生まれ、円山応挙に師事して画を学んだ。応挙の数ある弟子のなかで唯一の内弟子で、応挙の画法を最も忠実に受け継ぎ、応挙の右腕となって常に師を支えた。駒 ...

平明で親しみやすい「写生画」を確立した円山応挙

2026/4/29  

18世紀の京都では、土佐派や鶴沢派、狩野派などの御用絵師とともに、南画の池大雅や与謝蕪村、新奇を競った伊藤若冲や曾我蕭白ら、さまざまな流派や画家たちが特色ある活動をしていた。そのなかにあって円山応挙は ...

蕪村に師事し夜半亭3世を継いだ高井几董

2026/4/27  

高井几董(1741- 1789)は、俳人・高井几圭の子として京都に生まれ、父のもとで俳諧に親しんだ。父の没後、与謝蕪村が夜半亭2世を継ぐにあたり、几董の3世継承を条件としたことから、30歳の時に蕪村の ...

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