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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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新着記事

その美貌で全国的に知られた芸妓・富田屋八千代

2025/5/14  

富田屋八千代(1887-1924)は、大阪府中河内郡西六郷村本庄(現在の東大阪市)の農家・西田家に生まれ、その後、大阪市の宗右衛門町で置屋・加賀屋を営む遠藤家の養女となった。明治30年に妓籍に入ると、 ...

軽妙洒脱な「浪速風俗画」を確立した菅楯彦

2025/5/12  

菅楯彦(1878-1963)は、日本画家・菅盛南の子として現在の鳥取県に生まれ、幼くして一家で大阪に移り住んだ。大阪移住後ほどなくして襖絵の絵師をしていた父が病に伏せたため、楯彦は11歳にして絵師とし ...

天井画など四天王寺に多くの足跡を残した湯川松堂

2025/5/9  

湯川松堂(1868-1955)は、現在の和歌山県日高郡印南町に生まれた。父は染戸の上絵を生業とし、「岸水」の号を持つ画家だった。松堂は父のもとで画をはじめ、明治11年に大阪に出て浮世絵師の三谷(歌川) ...

森寛斎に学び京都画壇で活躍した奥谷秋石

2025/5/7  

奥谷秋石(1871-1936)は、大阪に生まれ、はじめ重春塘に学び、のちに京都で森寛斎の門に入り円山派の画風を学んだ。山水画を得意としたが、花鳥画や動物画でも知られ、菅楯彦との合作も描いている。 橋本 ...

東京美術学校を中退し大阪で画を生業にした江中無牛

2025/5/5  

江中無牛(1868-1928)は、福岡県久留米市の紙商を営む家に生まれた。幼いころから郷里の私塾・柳園塾で学び、平野五岳に師事して2年余り画を学んだ。15歳の時に上京して進文学舎に入ったが、父の体調が ...

黒田重太郎らと二紀会を結成した鍋井克之

2025/5/2  

鍋井克之(1888-1969)は、大阪市に生まれ、松波長年に日本画を学び、松波没後は広瀬勝平に洋画を学んだ。大阪府立天王寺中学を卒業後上京し、白馬会洋画研究所を経て、明治42年東京美術学校西洋画科に入 ...

小出楢重らと信濃橋洋画研究所を創設した国枝金三

2025/4/30  

国枝金三(1886-1943)は、現在の大阪市に生まれ、大阪高等商業学校を中退後、山内愚僊、赤松麟作に洋画を学び、明治41年からは関西美術院で鹿子木孟郎に学んだ。大正5年に第3回二科展で初入選し、大正 ...

大阪洋画壇の発展に指導的役割を果たした赤松麟作

2025/4/28  

岡山県津山市に生まれた赤松麟作(1878-1953)は、5歳頃に家族で大阪に移り、ペンキで描く山内愚僊をみて、16歳の時愚僊の内弟子となり、油彩画を学んだ。明治30年に東京美術学校西洋画科選科に入学し ...

ワーグマンに洋画を学んだとされる渡辺豊洲

2025/4/25  

渡辺豊洲(1863-1915)は、幕末の大坂に生まれ、はじめ木下芦洲に日本画を学んだ。その後明治10年代半ばに上京し、ワーグマンに洋画を学んだと伝わっている。日本美術協会会員となり、太平洋画会展にも出 ...

外遊後官展の水彩画家として活躍した河合新蔵

2025/4/23  

河合新蔵(1867-1936)は、大坂の呉服商を営む家に生まれた。鈴木蕾斎、前田吉彦に洋画の手ほどきを受け、明治24年に上京して五姓田芳柳に師事し、ついで小山正太郎の不同舎で学んだ。明治33年、満谷国 ...

関西洋画の先駆者にして初代尼崎市長・櫻井忠剛

2025/4/21  

櫻井忠剛(1867-1934)は、尼崎藩主松平家(維新後に櫻井と改姓)分家の松平忠顕の二男として生まれた。明治9年上京して勝海舟のもとに寄寓し、勝邸内で画塾を開いていた川村清雄に洋画を学び、池田口南に ...

関西美術会の創立に大阪側委員として参加した牧野克次

2025/4/18  

牧野克次(1864-1942)は、幕末の大坂に生まれ、小学校の教員をしながら守住貫魚に日本画を、貫魚の子・勇魚に洋画を学んだ。その後、明治21年に上京して小山正太郎の画塾・不同舎で学び、静岡師範学校つ ...

洋画教育を通して大阪洋画黎明期を形成した松原三五郎

2025/4/16  

大阪における本格的な洋画の先駆者は山内愚僊、松原三五郎の二人といえるが、山内愚僊が朝日新聞社につとめ、積極的には絵画指導を行なわなかったと思われる反面、図画教師をつとめるかたわら私塾を開いた松原三五郎 ...

大阪洋画壇の草分け的存在・山内愚僊

2025/4/14  

大阪洋画の草創期に活躍した画家としては、浮世絵の月岡芳年門下の鈴木蕾斎(不明-不明)が知られるが、本格的に大阪で洋画がはじまるのは、山内愚僊、松原三五郎が相次いで大阪に移り住んでからといえる。 山内愚 ...

森派の森一鳳に「円山風」を学んだ森関山

2025/4/11  

江戸時代の大坂画壇において重要な流派のひとつである森派は、もともと狩野派風を描いていた森陽信、周峰、祖仙(のちに狙仙に改号)の三兄弟のうち、写生画の作風を確立した狙仙にはじまるとされる。狙仙は画題をほ ...

狩野派と円山派を折衷した画風を確立した渡辺祥益

2025/4/9  

渡辺祥益(1848-1905)は、渡辺梁益の二男として大坂に生まれた。父の梁益は、京狩野家9代の狩野永岳に学び、禁裏御用をつとめたという。祥益は、父の没後慶応3年に京都に出て狩野永祥について4年間学ん ...

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奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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