江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

茨城(4)-ネット検索で出てこない画家

河西雪渚 かわにし・せつしょ
通称は蕭四。松平雪山の門人で山水をよくした。明治初年頃死去。

軽部竹堂 かるべ・ちくどう
江戸崎の人。名は愼。画を人見淇堂に学び、椿山派の花鳥を描いた。明治初年頃死去。

梶山大海 かじやま・たいかい
天保7年常陸太田市内田町生まれ。画を宇佐美太奇に学び、人物、山水を得意とした。大正12年、88歳で死去した。

金子雲英 かねこ・うんえい
明治23年下館市生まれ。名は英太郎、上京して尾竹国観に師事、土佐派を研究して山水を得意とした。明治45年日本美術協会に《嵐山の図》を出品。

菊池江外 きくち・こうがい
筑波郡真瀬村の人。名は徳。南画山水をよくした。明治初年頃死去。

栗田長 くりた・ちょうみん
宝暦2年生まれ。水戸藩士。名は吉、通称は八郎兵衛。別号に蕉鹿(一説は丘鹿)がある。南蘋の画法を学んで、密画の花鳥人物をよくした。文化5年、57歳で死去した。

久米悦之助 くめ・えつのすけ
水戸藩士。松平雪山の門に入り画を学び、人物をよくした。慶応年間に死去。

久米霞岳 くめ・かがく
文化12年生まれ。名は雅禮、通称は波衛門。14歳の時に道口雪窓につき画を学び、のちに加藤雪潭の門人となり、花鳥山水を得意とした。藩主徳川斉昭の命により作成された《追鳥狩絵巻物十八軸》を佐野盛致とともに手伝った。明治33年、86歳で死去した。

小林玄甫 こばやし・げんぽ
水戸の人。名は抱古。はじめ立原杏所に学び、のちに松平雪山の門に入った。花鳥山水をよくした。慶応年間に死去。

児玉梅坪 こだま・ばいへい
享和元年生まれ。大和国柳生の人。はじめ柳生藩学校に学び、のちに頼山陽および佐藤一斎に師事した。漢詩をよくし、柳生藩文武館の教授を務めた。書画を好み、画は倪雲林を慕い、書は顔真卿にならった。明治元年、68歳で死去した。

小杉後楽斎 こすぎ・こうらくさい
古河の人。名は長兵衛。岡野梅老に画を学び、のちに渡辺崋山の門人となり、花鳥を学んだ。明治初年頃死去。

国府田亀山 こくぶた・きざん
結城郡豊加味村の人。小林蔵六の門人で、のちに猪瀬東寧に師事した。明治17年死去。

小沢鉄巌 こざわ・てつげん
文久3年水戸市仲町生まれ。名は亮、字は子敬、別号に有竹居がある。野竹我師に師事し、竹の絵を得意とした。内務省に勤務する傍ら画技を磨いた。漢詩、和歌、琴曲も得意とした。

後藤文琳 ごとう・ぶんりん
天保年間の人。名は幸蔵。谷文晁の門人で山水を得意とした。

茨城(4)-ネット検索で出てこない画家

文献:茨城の古書画人名事典