月岡芳年(1839-1892)tsukioka-yoshitoshi
歌川国芳の門人で、月岡雪斎の養子となり月岡姓を名乗った。はじめ国芳の画風を踏襲した武者絵を描いていたが、開港直後の横浜を描いた錦絵や戊辰戦争に取材した「血みどろ絵」で注目を集めた。明治6年に強度の神経衰弱となり、回復後「大蘇芳年」を名乗った。弟子に水野年方がおり、その弟子に鏑木清方、さらにその弟子に伊東深水と、日本画の美人画の系譜は引き継がれていった。
主要美人画作品:「竹川町花月亭(1874)」「見立多以尽(1878)」「新柳二十四時(1880)」「全盛四季の春(1884)」「風俗三十二相(1888)」「見立多以尽・いッぷくのみたい」「風俗参十二相・遊歩がしたさう」「桜下美人」「関鉄之助の妾い」「四月亀戸の藤」「西洞院成子」「芸妓図」