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退色しにくい「津端式絵具」を開発した津端道彦
2022/4/22
津端道彦「文武」 津端道彦(1868-1938)は、新潟県中魚沼郡外丸村(現在の津南町外丸本村)に生まれた。生家は酒造業を営んでおり「菊水」という銘柄の酒を造っていた。父の荘六は藍亭と号して南画を描い ...
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上海領事館に勤務しながら南画を研究した大倉雨村
2022/4/18
大倉雨村「早春之図」 大倉雨村(1846-1899)は、新潟町(現在の新潟市)の医師・大倉良庵の子として生まれ、幼いころから地元の絵師・松尾紫山に画を学んだ。父の没後は江戸に出て、さらに長崎に行き鉄翁 ...
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美人画を通して明治中期の女性風俗を描いた楊洲周延
2023/9/28
楊洲周延〔真美人〕十二「団扇を持って踊る婦人」 越後高田藩の江戸詰藩士の子として江戸に生まれた楊洲周延(1838-1912)は、はじめ歌川国芳の門人となり、国芳の没後は役者絵で人気だった豊原国周に師事 ...
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頚城の異色南画家・東洋越陳人と磯野霊山
2022/4/13
東洋越陳人「山水図屏風」 越後国中頸城郡三和村(現在の上越市)の農家に生まれた東洋越陳人(1836-1916)は、7歳の時に荻野退治の塾に入り経史を学んだ。漢詩の暗誦と習字が得意で、子どもとは思えない ...
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新潟への最初の外国船渡来を描いた井上文昌
2022/4/11
井上文昌「新潟湊之真景」 井上文昌(1818-1863)は、新潟町(現在の新潟市)で代々町役人をつとめていた井上家に生まれ、江戸の谷文晁に入門し、文晁の高弟・遠坂文雍(1783-1852)に画を学んだ ...
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幕末の新潟町で中心的な画人として活躍した行田魁庵
2022/4/8
行田魁庵「新潟入船之図」 新潟神明宮の神官の子として生まれた行田魁庵(1812-1874)は、幼いころから絵を好み、新潟の町絵師・志賀北洋に手ほどきを受けたのち、一ノ木戸村の神明宮神官で従兄にあたる行 ...
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新潟風俗を描いた絵巻物「蜑の手振り」を制作した初代新潟奉行・川村修就
2022/4/6
「蜑の手振り」1景「新潟海岸のイワシ網漁」 「蜑の手振り」2景「新潟湊祭の行列」 「蜑の手振り」3景「新潟町の盆踊の行列」 「蜑の手振り」4景「信濃川の鮭網漁」 「蜑の手振り」5景「鳥屋野潟のがたがた ...
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戯作者として知られた浮世絵師・墨川亭雪麿
2022/4/4
墨川亭雪麿「三味線を引く美人図」東京国立博物館蔵提供:東京国立博物館 墨川亭雪麿(1797-1856)は、越後国高田藩の江戸詰藩士の子として江戸に生まれた。藩主・榊原政養に仕えるかたわら、喜多川歌麿の ...
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佐渡奉行所の絵図師をつとめた石井夏海・文海父子
2022/4/1
石井夏海「鍾馗」 佐渡国相川の郷宿を営む家に生まれた石井夏海(1783-1848)は、幼いころから画を好み、15歳の時に地元の絵師・吉村蘭秀に学び、ついで江戸に出て紀南嶺、谷文晁の門に学んだ。また、司 ...
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酒井抱一・鈴木其一に続く江戸琳派の継承者・池田孤邨
2022/3/30
池田孤邨「紅葉に流水図屏風」 越後国水原近辺(現在の新潟県阿賀野市)に生まれた池田孤邨(1803-1868)は、10代後半頃に江戸に出て酒井抱一の内弟子となった。抱一門下では、鈴木其一(1796-18 ...