江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

丁寧な筆致の繊細な山水画を多く描いた日根対山

日根対山「黄山避暑図」

日根対山(1813-1869)は、和泉国日根郡中庄村湊(現在の泉佐野市湊)に生まれ、はじめ岸和田の画人・桃田栄雲に画を学んだ。また、地元湊の豪商・里井浮丘(1799-1866)と交友し、同家が所蔵する明清絵画を模写するなどして研鑽を積み、さらに浮丘の支援を得て大坂の岡田半江や京都の貫名海屋のもとで書画や儒学を学んだ。

以後、京都を中心に南画家として活躍するとともに、梁川星巌、頼三樹三郎、藤本鉄石中西耕石ら勤王家とも交流し、京都で生涯を終えた。若年期には丁寧は筆致の繊細な山水画、花鳥画を多く描いたが、晩年期には多作となり、粗放は筆致の作品が多くみられるようになった。

日根対山(1813-1869)ひね・たいざん
文化10年和泉国日根郡中庄村湊(現在の泉佐野市湊)生まれ。名は盛長、字は小年。別号に茅海、錦林子、同楽園などがある。桃田栄雲、岡田半江、貫名海屋に書画を学び、鉄翁祖門に私淑した。京都を中心に活躍し、門人に猪瀬東寧野口小蘋中丸精十郎(金峯)、跡見花蹊、奥蘭田らがいる。明治2年、57歳で死去した。

里井浮丘(1799-1866)さとい・ふきゅう
寛政11年生まれ。和泉国湊浦の人。回船問屋を家業とした。名は孝幹、字は元礼、通称は治右衛門。別号に快園、跛鼈老人などがある。漢学を内藤慎、書を松本研斎、国学を大国隆正に学んだ。書画骨董の収集でも知られ、自らも書画を嗜んだ。交友関係は広く、日根対山をはじめ、貫名海屋、岡田半江、小田海僊篠崎小竹、広瀬旭荘、小石元瑞ら文人や藤本鉄石、梁川星巌、頼三樹三郎ら幕末の尊攘家とも接点があった。遺稿集に『跛鼈集』がある。慶応2年、68歳で死去した。

大阪(35)-画人伝・INDEX

文献:サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、近世の大阪画人