江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

飯田藩主堀家のお抱え絵師・島高麿

左:島高麿「高砂尉姥図」、右:島高麿「人物像」

島高麿(1791-1871)は、伊那郡南山村(現在の泰阜村)に生まれた。飯田藩主堀家のお抱え絵師として国詰で飯田城につとめ、日常は、城中の障壁画の新規画や補修補筆、藩主所蔵画の修理、古画の模写、奥方やお女中らの使用品の装飾、加筆などに従事していたと思われる。

島高麿の師・春木南湖は、飯田・下伊那の地を訪れたと伝わっており、高麿はその際に師事したものと思われる。下伊那郡南部地域には、南湖やその子・南溟の襖絵などが残っている。高麿の二男の島南岱と四男の島南谷は南溟に師事して、二人とも飯田藩主堀家のお抱え絵師をつとめた。

高麿の門人としては、親田村(下條村)の古田鷹麿、清内路村(阿智村)の桜井峯麿、名古熊村(飯田市鼎)の唐沢湖城らがいる。唐沢湖城は、飯田藩主のなかでも文雅の才能にすぐれた堀研山に認められ、幕末頃に江戸詰の藩絵師として江戸屋敷で活動した。

島高麿(1791-1871)しま・たかまろ
寛政3年南山(現在の泰阜村)生まれ。飯田藩主堀家のお抱え絵師。本名は島岡喜助。画号には月信、高丸、国川を用いた。春木南湖に師事した。明治4年、81歳で死去した。

島南岱(1826-1892)しま・なんたい
文政9年飯田生まれ。飯田藩主堀家のお抱え絵師。島高麿の二男。本名は菊司。別号に菊麿がある。父と春木南溟に師事した。明治15年内国絵画共進会に出品した。明治25年、67歳で死去した。

島南谷(1849-1897)しま・なんこく
嘉永2年飯田生まれ。飯田藩主堀家のお抱え絵師。島高麿の四男。本名は覚太郎。春木南溟に師事した。明治30年、49歳で死去した。

古田鷹麿(1801-1875)ふるた・たかまろ
享和元年下伊那郡親田村(現在の下條村)生まれ。本名は亀吉。別号に豊斎がある。島高麿、葛飾北斎に師事した。得意の虎の絵を尾張侯に献上し嘉賞を受け、雅号「豊斎」を賜った。漢詩、和歌、俳句もよくし、浄瑠璃の作家でもあった。明治8年、75歳で死去した。

桜井峯麿(1806-1860)さくらい・みねまろ
文化13年下伊那郡清内路村(現在の阿智村)生まれ。幼名は才助、のちに兵衛門。島高麿に師事した。彫刻もよくした。万延元年、55歳で死去した。

唐沢湖城(1819-1980)からさわ・こじょう
文政2年伊那郡名古熊村(現在の飯田市)生まれ。幼名は富之助、長じて喜一。別号に永信、東山外史、一鳳斎君房がある。島高麿や曽我鳳章斎に師事し、江戸に出て「湖城」と称した。千葉、茨城などを遊歴、安政5年芝増上寺の家光の霊廟に画工として参加、維新後戸長、明治天皇御巡幸の折「楠公父子図」を展覧に供した。明治13年、62歳で死去した。

長野(21)-画人伝・INDEX

文献:郷土美術全集(飯田・下伊那)〔前編〕、長野県美術大事典