山元春挙「富士ニ題」滋賀県立近代美術館蔵
山元春挙(1872-1933)は、滋賀の膳所に生まれ、はじめ野村文挙に学び、文挙の東京移住後は森寛斎に師事し、円山派の正統な画系に連なった。幸野楳嶺門下が圧倒的に強い当時の京都画壇にあって若くして頭角を現し、楳嶺門下の四天王で7歳年上の竹内栖鳳とともに京都美術の革新に携わった。明治40年の第1回文展では36歳で審査員に任命され、大正初年にはすでに京都画壇を代表する地位にあった。
好奇心旺盛で進取の気性に富んだ洒脱な趣味人で、洋装を好み、登山や写真撮影にも熱を入れ、ホテルでの食事、自動車の運転、モーターボートなども楽しんだ。その西洋文化への嗜好は画風にも表れ、写真の質感や登山体験にもとづく遠近法を取り入れた風景画に独特の表現をみせている。
また、狂歌、俳句、書を好み、写生旅行で贈る画に狂歌を添えたりした。精神世界や伝統的な美意識への理解も深く、熱心に参禅した。私塾「早苗会」では、弟子たちに筆と心と万物の冥合を説き、絵が符牒に堕することを戒めたという。門下からは川村曼舟、小村大雲、梥本一洋、山本倉丘らが出ている。
掲載の「富士ニ題」は、晩年の代表作のひとつと評された作品で、鮮やかな色彩の対比に春挙の晩年の特徴がある。春挙は私塾で山での写生を指導しており、自身も山岳風景を描いた作品が多い。
山元春挙(1872-1933)やまもと・しゅんきょ
→明治・大正期の京都画壇の重鎮として活躍した山元春挙
京都(167)-画人伝・INDEX
文献:京都と近代美術、近代の京都画壇、近代京都日本画史、円山応挙から近代京都画壇、日本美術院百年史1巻上、日本の花鳥画、日本絵画・20世紀の草創、京都国立近代美術館所蔵名品集[日本画]、日展100年、日本画家人名事典