江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

京都画壇で超然とした個性を示した都路華香

都路華香「東萊里の朝・萬年台の夕」京都市美術館蔵

都路華香(1871-1931)は、京都の友禅描きの家に生まれ、9歳から幸野楳嶺に師事した。途中、家庭の事情で修業を中断して実家で家業を手伝っていたが、19歳の時に第3回内国勧業博覧会で褒状を受け、その後も各展で受賞を重ね、年少ながらも菊池芳文、竹内栖鳳、谷口香嶠と並んで楳嶺門下の四天王と称されるようになった。

生涯模写を重視したが、他の四天王と同様に四条派の穏健な写生画にとどまらず、独自の表現を模索した。20代の終わり頃からは、建仁寺の黙雷禅師に師事し参禅したことから禅的な画題も好むようになり、四条派の伝統に精神性や主観を加味した表現を試みた。

明治末頃からは波の表現を研究し、水墨の技法や西洋画の要素、さらには南画的な装飾性も取り入れ、独創的で個性豊かな作画活動を展開した。その異色の作風は、文展や帝展では評価されにくい傾向のものだったが、京都画壇で超然とした個性を示し、若手からも厚い支持を得たという。

晩年は帝国美術院会員に任じられたほか、京都市立美術工芸学校や京都市立絵画専門学校の校長を歴任し、教育者としても京都画壇の発展に貢献した。門下からは冨田溪仙、北野恒富らが出ている。

掲載の「東萊里の朝・萬年台の夕」は、朝鮮の金剛山を訪れた際に釜山東部にある東萊に取材した作品で、大正9年の第2回帝展に出品された。華香の遺族のもとに遺された原稿「萬年台の夕と東萊里の朝」によると、朝鮮を訪れた際の第一印象を描いたと語り、これらの風景に一種の閑さを感じたという。華香は本作をもって官展への出品を止め、以降は個展などで作品を発表した。

都路華香(1871-1931)つじ・かこう
明治3年京都市生まれ。本名は良景、字は子春、通称は辻宇之助。明治13年幸野楳嶺に師事し、四条派の花鳥山水を学んだ。明治23年第3回内国勧業博覧会で褒状を獲得し、楳嶺門下の四天王の一人とされた。明治29年の日本絵画協会の第1回共進会で2等褒状を受け、第2回共進会でも褒状を受け、その後も各展で受賞を重ねた。明治32年から建仁寺の黙雷禅師に参禅。明治35年『華香画話』を刊行。明治40年に開設された文展では第1回展で3等賞、大正5年第10回文展で特選となった。明治44年『華香歴史風俗画話』を刊行。大正14年帝国美術院会員に任命された。大正15年には京都市立の絵画専門学校と美術工芸学校の校長に就任した。昭和6年、60歳で死去した。

京都(166)-画人伝・INDEX

文献:近代京都日本画史、京都と近代美術、近代の京都画壇、円山応挙から近代京都画壇、日本の花鳥画、京都国立近代美術館所蔵名品集[日本画]、日本美術院百年史1巻上、日本画家人名事典