ネット検索で経歴の出てこない画家を紹介していきます。
安達半僊 あだち・はんせん
明治3年2月27日大分県北海部郡臼杵町に生まれる。名は盛保、字は如痴、通称は仁平、居を花月庵、相君亭、呉竹園。児玉蘆香、小栗布岳に師事し南宗派を修める。帝国絵画協会会員、日本南宗画会会員、九州書画鑑定会会長。俳句を好み、安東石友、佐藤硯山らに学んだ。また、盆栽を愛し、当時の大分県下に珍盆栽ブームを起こした。著書に『花竹幽☆小誌』。(☆は「總」の「糸」を「爿」に)
有友藺溪 ありとも・りんけい
嘉永5年4月16日岡山県津山町に生まれる。名は一郎、字は富行、別号を臥雲閣、愛竹。狩野如林宗信に師事し狩野派を修め、塘雲田に師事し南宗派を学んだ。山水人物動物を得意とした。明治35年に日本千景会を起こしてからは各地の名山大川を題材とした。内国勧業博覧会や各地の博覧会で70余回受賞。宮内省、皇后職及び東宮職の買い上げを5回受けた。帝国絵画協会会員、日本美術会会員、美術研精会会員。
有馬素岳 ありま・そがく
明治元年2月2日鹿児島県鹿児島市新町に生まれる。名は善太郎、字は君徳、別号に自在将軍、春岳。高瀬梅堂、平山東岳、天野方壺、鈴木百年、後藤碩田らに師事し南宗派を学んだ。山水を得意とし、書道、篆刻もよくした。左右両手で揮毫できることから韓国の金玉均から「自在将軍」の称を贈られた。
井澤蘇水 いざわ・そすい
東京の人。川合玉堂に師事。選画会等で受賞。第8回文展「鵜」、第9回文展「水郷」
第10回文展「驕樂」を出品。
石川丹麗 いしかわ・たんれい
明治15年6月東京に生まれる。名はてる子、旧号玉溪、精華。父は彫刻家の石川光明、夫は彫刻家の石川確治。川端玉章、橋本雅邦、下村観山、寺崎広業に学ぶ。第3回文展「對月」出品。日本美術院研究会員。
伊藤鐵女 いとう・てつじょ
文久3年8月小石川に生まれる。号古仙。父は伊藤利量。幼い頃から土佐派を学ぶ。明治7年から京浜及び水戸地方に遊び、22年女子成立学校画学教員、後に浅草成工学校に転じた。26年米国コロンブス万国博覧会に音楽学校の大幅を揮毫、共進会等で褒賞を受けた。
文献:明治大正文學美術人名辭書