江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

茨城(3)-ネット検索で出てこない画家

岡崎江山 おかざき・こうざん
先祖は江戸初期に近江国より来往した商人で、酒造業を営んでいたといわれる。名は邦彦。江戸崎の人で、水戸に出て松平雪山に師事。山水を得意とした。作品は菩提寺である大念寺本堂、瑞祥院本堂などに残っている。明治14年5月26日死去。

奥村永伯 おくむら・えいはく
天保2年行方郡吉川村生まれ。老圃の父。江戸に出て佐竹永海の門に入り、帰郷して私塾を開き、門下生は600人に及んだ。行方郡最初の吉川小学校校長となった。明治19年、56歳で死去した。

小笠原笠斎 おがさわら・りゅうさい
天保6年常陸国生まれ。明治年間の画家で文人画をよくした。

奥村老圃 おくむら・ろうほ
万延元年生まれ。名は亀三郎。画を父の永伯に学んだ。山水と得意とした。昭和元年死去。

大内適斎 おおうち・てきさい
慶応元年水戸備前町生まれ。水戸藩士種一の子。名は栄、通称は得斎。画を松平雪人に学び、茶を光庵に、花を本松斎一得に学んだ。古書画の鑑定と篆刻を得意とした。また、杏所の偽筆を作っては天下一品といわれたという。昭和2年、63歳で死去した。

奥村霜樹 おくむら・そうじ
明治15年生まれ。名は寅雄、奥村老圃の二男。早稲田大学を中退して、画を父に学んだ。昭和2年、46歳で死去した。

岡里古軒 おかざと・こけん
明治18年津澄村山田生まれ。名は七郎。土浦中学を中退、のちに県会議員を二期、津澄村長などを務めた。絵は達磨を得意とした。

可卜 かぼく
貞和年間の人。可木という。鎌倉建長寺の住職で、画を啓書記に学び、人物、山水などをよくした。別号に棟隠子がある。

化蔵院 かぞうえん
常州の人。詳細は不明。天正19年死去。

神谷栄春 かみや・えいしゅん
寛政2年頃の水戸藩の画員。名は惟雪。のちに養秋と号した。神谷栄秋の子。

狩野涼 かのう・りょうみん
宝暦元年生まれ。水戸藩の絵師。本姓は池田、名は貴信。池田幽石の子。はじめ狩野深信の門に学び、のちに永叔の門に入った。代表作に《日の出に大黒》がある。文化11年、64歳で死去した。

加藤文昇 かとう・ぶんしょう
水戸の人。後藤文琳の門人で、谷文晁の画法を学び、山水を得意とした。文久2年死去。

加藤礬桂 かとう・ばんけい
通称は辰蔵。加藤雪潭の子。画を父に学び、のちに松平雪山に学んだ。山水人物を得意とした。明治初年頃死去。

茨城(3)-ネット検索で出てこない画家

文献:茨城の古書画人名事典