江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま兵庫県を探索中。

UAG美術家研究所

秋田(5)-ネット検索で出てこない画家

江戸後期の画家(1)
菊地南山
秋田藩。名は武博、通称は良右衛門。別号に煙霞釣客、画仏、自適庵などがある。詩、山水画、歌をよくした。天保6年、50歳で死去した。

義産
安永4年10月19日生まれ。湯沢市の僧。湯沢の渡部広軒の弟。父は広光。地元の小川鴎亭に学び、清源寺や宇治興聖寺などで修行。そのあと生保内東源寺、湯沢山田最禅寺の二十一世住職となり、文化9年には四十二世天徳寺住職となった。佐竹義和時代の旱魃の時に雨乞いの祈祷をして雨を降らせたエピソードがあり、義産の描いた《雨乞図》も残っている。天保9年1月3日死去。

猿田柏丘
享和元年4月2日生まれ。通称は銀平、諱は光邦、字は叔明。菊地長貞の二男、母は岩堀氏で、猿田光康の娘と結婚し婿養子となった。山水を得意とした。天保10年3月25日死去。門人の吉川升、大友道文、小室秀満、石川広定、小室秀治らが、天保11年7月、奥山君鳳撰文、友人西宮奎斎書の墓碑を万福寺に建てた。

穆浄
大曲市金剛院。書画、和歌をよしくた。宗風の哀弊を欺き、苦心して鳥海山、湯殿山、月山、羽黒山に48回も登り、国家安穏五穀豊穣を祈った。京や江戸の諸名家と風雅の交をなした。

河原田兎毛
角館の人。《平田篤胤像》が残っている。「平田篤胤翁の肖像を書きしものの内、兎毛の描きしもの最も真なりと云う」と伝わっている。

小倉秋翠
秋田藩京屋敷。通称は範兵衛。「天保己亥仲秋日」と書いた絵が残っている。

岩谷観瀾
秋田藩士。諱は宗恕、通称は新一郎、字が一貫、別号に幽斎がある。亀ノ丁新町に住んでいた。仇名をトンボといわれた。

山県吾風
天明5年生まれ。俳人。俳画をよくした。久保田手形堀反の人。通称は東一郎、諱は厚忠、別号に菊園、菊翁、子朴、子樸がある。著書は『親子咄』など。

林方斎
寛政7年8月21日生まれ。角館の人。字は道甫、通称は久平、名は隆久、別号に旭川がある。弘化3年4月19日、52歳で死去した。

介川南溟
秋田の人。通称は時也、字は通経。謙と称して竹の絵をよく描いた。

秋田(5)-ネット検索で出てこない画家

文献:秋田書画人伝

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