江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

秋田(9)-ネット検索で出てこない画家

明治期の画家(1)

浅香旭元
幕末から明治期の本荘市の画家。画と鉄筆を得意とした。父は象洲。

浅香象洲
明和4年生まれ。名は泰常、字は子久。詩書をよしくた。天保10年7月25日死去。

伊藤如竜
明治期の湯沢市の画家。

石田藍山
明治期の秋田の画家。南宗画をよくした。

岡村東皐
万延元年生まれ。秋田藩の武士。本名は元良、字は子慎。山水と得意とした。能筆家であり県内小学校の書き方手本を手掛けた。

川尻岱雲
明治初期の秋田市の画家。

玄牛
男鹿市飯森生まれ。秋田城外西来院六世。書画をよしく、海老の絵を得意とした。

佐藤雪門斎
明治期の秋田市の画家。

西宮四壁「小雄鹿図」賛:菅江真澄
「小雄鹿のうらの浜木綿ふみしたき百重に思ふ嬬や恋ふらむ」と菅江真澄が歌を添えている。

西宮四壁
横手市の画家。名は正興、通称は円右衛門。別号に羽横がある。

荒川月江
文久3年生まれ。大曲市角間川の人。名は保真、通称は栄七。荒川格堂(新右衛門保矩)の嗣に入り、新右衛門を襲名した。象潟に別邸を設け、風流な生活を送り、書画、漢詩をよくした。遺稿に『月江詩抄』がある。大正12年8月12日、61歳で死去した。

六平寿栄
明治期の仁賀保町院内の日本画家。本姓は池田。増田九木に師事。菩提陽山寺本堂欄間に大女を描いた。また《竹梅図》(明治元年作)も同寺に残っている。

妹尾黄鶴
明治期の秋田市の画家。

中田湖山
明治期の南秋田郡若美町潟西字福米沢の画家。小室怡々斎に師事した。

秋田(9)-ネット検索で出てこない画家

文献:秋田書画人伝