67.なぜか復活
第一話:蘇る感動のフレーズ
ちょっと前の話ですが、あれはゴールデンウィークが明けてすぐの週末だと記憶しているので、3週間くらい前の出来事だったと思います。その日の朝は、いまの季節としては珍しいくらいに辺りは薄暗く、今にも雨が降り出しそうな空模様でした。ボクはそんな朝だというのに、いつものように公園に行き、いろいろと思い悩みながらトボトボと歩いていました。
しかし、自分自身不思議に思うのですが、どんな悪条件の朝でも6時前になるとスパッと起き、雨が降っていようが肌寒かろうが、なにがなんでも公園に散歩に出かける習慣が崩れることがありません。我ながら感心するほどの几帳面さなのですが、思えば、このへんの性格が悩みの種のような気もします。
早朝の公園というのは一般的に気持ちがいいもので、季節や天気によって雰囲気がずいぶん変わり、いろいろな発見もあります。それに、その日は雨が降り出しそうだったためか人影が少なく、ボクにとっては絶好の散歩日和でした。
というのにボクの気持ちは沈みがちで、「ああ、昨日も一日無駄に過ごしてしまった」とか思いながら反省し、「どうせ今日もまた同じような一日なんだよ」とか思いながら絶望し、それを交互に繰り返しながら歩いていました。
どのくらい歩いたでしょうか、反省と絶望を規則正しく繰り返しながら歩いているうちに、ふと次は反省なのか絶望なのか分からなくなってしまいました。ボクは慌ててしまい、持ち前の几帳面さから次の一歩が踏み出せなくなり、そんな自分の不甲斐なさを自己批判していると、混乱した頭の中にあの有名なフレーズが浮かんできたのです。
「体力の限界っ、気力もなくなり…」
そう、千代の富士が引退会見の時に言った、この感動のフレーズが何故か突然浮かんできて、それが頭の中を繰り返し繰り返し巡っていったのでした。
第二話:ご心配はごもっとも
やっと感動的なフレーズを手に入れたわけですが、この「体力の限界っ、気力もなくなり…」というフレーズは、頭の中で繰り返しているうちはなんの感慨も得られず、むしろ繰り返せば繰り返すほど空虚な気持ちになってしまいます。やはりこのフレーズは口に出してみて初めて味わいが出てくるものだし、場面も大横綱の引退会見に限られます。
だから、一般人がこんなことを声に出して言うと周りの人に心配をかけることになるし、大分や広島から、ご心配はごもっともなコメントを頂くことになってしまいます。だから決して口に出してはいけません。そこでボクは、何かアクセントを付けながら頭の中で繰り返すことにしました。そうすれば心も安まるというものです。
繰り返しにアクセントを付ける方法としてすぐに思いついたのは、いま最も旬な「3の倍数でアホになる」というアレでした。つまり、同じ台詞を繰り返して何度も言う場合、3の倍数番目でアホになればいいわけです。これなら変化があって単調にならずにすむし、緊張感も保てます。
ボクはこれしかないと思い、心を鎮めてまず一番目の「体力の限界っ、気力もなくなり…」を普通の調子で思い浮かべました。そして二番目もごく自然に「体力の限界っ、気力もなくなり…」と思い浮かべ、そして、いよいよ三番目にアホになろうとした、次の瞬間、衝撃の事実に気づいたのです。
なんとアホになるには首を傾げなくてはどうしても様にならず、おまけに大声で叫ばなくては決して「アホ」は完成しないということが判明したのです。
ボクは絶望しました。
声を出さなくてすむ最良の方法を考えついたと思ったら、それは大声を出さなくてはならなくなるほどの最悪の選択だったわけです。
ボクはもう歩く気力も失い、崩れるようにベンチに腰掛けると、ごく自然に首を傾げながらアホになり「さぁ~ん!」と叫びました。
第三話:謎の老婆の数え唄
「さぁ~ん!」と思い切り叫んで、ボクは少し気が楽になりました。もちろん思ったような出来ではなかったのですが、これから「ヨン」、「ゴ」、「ろぉくぅぅ~!」と続けていく価値はあるように思えました。
ボクはしばらく間を置くと、急にまじめぶって「ヨン」と言おうとしました。するとそれよりも一瞬早く隣から「ヨン」という声が聞こえたのです。
驚いて横を見てみると、そこにはいつの間にかおばあさんが一人ポツンと座っていて、彼女は、驚いているボクのことなどお構いなしに、「ゴ」と続けました。
ボクは息を呑みました。
この流れでいくと、次の「ロク」はアホになって「ろぉくぅぅ~!」と叫ばなくてはなりません。しかし、この芸はそう簡単にできるものではありません。いくら彼女に豊富な人生経験があったとしても、この高度な技を習得しているとは思えません。それに、悲しいかなこの手のものは、練習したからといってうまくなるようなものではなく、天性性のカンと言うか、そんなものが必要なのです。
しかし、ボクは緊張しておばあさんの次の言葉を待ちました。
が、なんということでしょう。おばあさんはごく普通に「ロク」といっただけで、そのまま黙ってしまったのです。
もうガッカリです。西洋人なら両手を広げて肩をすくめているところでしょう。
ボクはすこし憤慨してベンチを立ち去ろうとしました。すると、おばあさんはボクの方に向き直り、ニヤリと笑うと、「あんた、五月病だね」と言い放ったのでした。
第四話:年中無休でこんな調子
見知らぬおばあさんに、いきなり「五月病」だと言われても、とうてい納得できるものではありません。確かにボクは早朝から思い悩み、反省と絶望を規則正しく繰り返しながらトボトボと歩き、そのうちに反省と絶望の順番が分からなくなって歩けなくなり、ついには「体力の限界っ、気力もなくなり…」とまで思い浮かべ、そのフレーズを繰り返すためにアクセントを付けようと、3の倍数番目でアホになることを試み、しかし、そんな高度な芸当などできるわけもなく、今こうしてベンチに座りこんでいるわけです。
まあ、これを「五月病」だと言うのなら、それはそれで甘んじて受けましょう。しかし、この程度の気の迷いは毎度のことで、5月だから特別に悩んでいるわけではないのです。言ってしまえば年中無休でこんな調子なのです。
ボクはおばあさんの方を向いて、できるだけ穏やかに、「べつに3月だって4月だってこん調子なんですよ」と諭すように言うと、立ち上がりました。
するとおばあさんは、「じゃあ、それは三月病に四月病だわ」と横を向いたまま素っ気なく答えました。
そのあんまりな答え方にボクは少し苛立ち、それを隠し切れないままにちょっと語気を強め、「じゃあ、このままいけば6月病ですか」と言い残して立ち去ろうとしました。
しかし、次のおばあさんの言葉に衝撃を受け、そのまま立ち尽くしてしまったのです。
おばあさんは、すべてを見透かしたように木漏れ日の差す地面に視線を落とし、横顔のままそっとつぶやきました。
「6月が来るとは限らないよ」
最終話:木漏れ日の中に
立ち尽くすボクの横をすり抜けるように一羽の小鳥が飛んでいきました。その鳥は黒い羽根の下に鮮やかな黄色い羽根を持っていて、羽ばたくたびに黄色い羽根がキラキラと輝き、その姿はまるで光が走っているようでした。そしてやがて木漏れ日の中に溶け込んでいきました。
おそらくあの鳥にとっての保護色は、森に差し込む木漏れ日なのでしょう。だから、光の中を飛ぶために、長い進化の過程で黒い羽根の内側にキラキラと輝く黄色い羽根を持つようになったのでしょう。
だからあの鳥にとって、森の中に光が差し込まなければ飛ぶ意味がありません。
もしも愚かな人間たちがこの空を黒い雲で覆いつくし、森に太陽の光が差し込まなくなったとしたら、あの鳥は翼を固く閉ざし、けっして美しい羽根を見せることはないでしょう。たとえそれがどんなに長い時間でも、彼らはうろたえることなく、翼を閉ざしたまま黒い鳥として生きていくのです。絶望することもなく、奇をてらうこともなく、ただひたすら光の中を飛ぶ時を待つのです。
ボクはおばあさんがいたベンチを見てみました。もちろんそこには彼女の姿はなく、木漏れ日がキラキラとベンチの上を照らしているだけでした。
あれから一カ月が過ぎ、ボクは当たり前のように6月を迎え、今朝も公園の中を歩いていました。空はあいにくの雨模様で、太陽の光は差し込まない薄暗い朝でした。
ボクはあのベンチの前まで来ると、小さな声で「ヨン」、「ゴ」とつぶやいてみました。すると、どこからか「ロク」とう声が聞こえたような気がしました。しっかりとした落ち着いた響きで。