湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


62.桜

第一話:うそのような満開

金曜日の朝、公園を歩いていたら桜が満開になっていたので、もうあとは散るばかりだと思っていたのですが、桜も意外にしぶとくて、日曜日も満開はさらに続き、近所の公園は花見客でいっぱいになっていました。

この公園はいつも歩いているので見慣れているのですが、さすがに桜が咲いていると景色も一変し、気持ちも高揚してきます。

ボクは花びらが舞う小道をのんびりと歩いた後、ベンチに座ってぼんやりと桜を見上げていました。

と、そこに一人のおばあさんがゆっくり歩いてきて、ボクが座っているベンチの前で止まると、ちょっと背伸びをするように両手を上げ、「ああ、気持ちいいわ」と言うと、いきなりボクの方を向き「温かくなったわねえ」と、愉快そうに笑いました。

もちろんボクもその笑顔に満面の笑みで返し、ベンチから立ち上がると、桜の花を見上げながら、「満開ですね」と答えました。

これは、我ながら見事な対応だと思いました。こういう場合、だいたい大人というものは差しさわりのない会話を楽しむものです。その点、この会話は深い意味など何もなく、まさにこの場面にぴったりです。

とかなんとか考えながらボクが悦に入っていると、そのおばあさんは少し笑ってから、無理に怒ったような顔を作り、そして「それ、うそでしょ」と言うと、上目づかいにボクを見上げました。

その「うそでしょ」というあまりに大人げない受け答えと、少女のような上目づかいにドキッとしながらも、ボクは「うそじゃありませんよ。どうみても満開です」といつになく強い口調で言い返しました。

春の日の午後、満開の桜の下で、ボクは期せずしておばあさんとにらみ合うことになってしまったのです。 第二話:そんなことは先刻承知だいっ

桜の花びらの散る小道で、ボクは必死になっておばあさんを説得しました。たとえば桜の満開の定義を説明してみたり、道行く人が満開だと言っていることを引き合いに出してみたり、手を変え品を変え、なんとか自分の言葉がうそでないことを主張しました。しかし、おばあさんも一歩も引かず、ボクが何かを言うと「いいや、それはうそよ」と頑なに拒絶し、聞き入れようとはしませんでした。

しかし、よく考えれば無理がある話で、桜が満開かどうかを検証することは出来ても、「満開ですね」と言った言葉自体がうそかどうかなんて、証明できるはずがありません。

それでもボクは必死になってさっきの言葉がうそでないことをおばあさんに証明しようとしました。というのも、実はこれはボクの「小芝居」だったのです。

なんたって先日の日曜日は4月1日で、エイプリルフールだったので、きっとおばあさんもそれが分かっていて「うそよ」と言い続けていると思ったからです。だってこんな展開、そうとしか考えられませんから。

ボクは心の中で「そんなことは先刻承知だいっ」と叫びながらも表情には一切出さず、懸命になっておばあさんを説得しました。いや、説得する演技をしました。

おばあさんもなかなかやるもので、どこまでもボクの小芝居につきあう気のようで、何を言っても「うそよ、うそよ」と言い続けました。

そんなことを延々と続けていたのですが、さすがにボクも、どこで終わりにすればいいのか分からなくなってしまいました。 第三話:桜吹雪のなかの二人

何を言っても、おばあさんに「うそでしょ」と切り返されるので、もう言うことがなくなってしまい、気力も続かなくなってきたので、ボクは小休止のつもりで満開の桜の木を見上げました。相変わらず桜の花びらはヒラヒラと舞い散っていて、心なしかさっきよりも散る勢いが増してきているように思えました。

ボクはその花びらを全身で受け止めながら、ふと考えました。

この勢いで散り続ければ、そのうちこの桜も満開でなくなります。ということは「満開ですね」というさっきの言葉はうそだということになります。かなりこじつけですが、もうその辺で落ち着くしかありません。

ボクはやっとのことで終わりにできると思いながら、チラッとおばあさんの方を見ました。すると、おばあさんも桜の木を見上げ、花びらを全身で受け止めながら、何か物想いにふけっているようでした。

その姿を見てボクは思わず、「見事な桜吹雪ですね」と言ってしまい、すぐに後悔しました。どうせまた「うそでしょ」と言われるに決まっているし、あとはまた堂々めぐりになるはずです。

しかし、予想に反しておばあさんは何の反応もせず、ひたすら桜を見上げていました。それを見てボクも少し安心して、また桜を見上げました。

春の日の夕方近く、ボクは期せずしておばあさんと並んで桜の木を見上げることになってしまったのです。 第四話:大きな箱と小さな箱

しばらくボクはおばあさんと並んで桜の木を見上げていたのですが、いつまでもこうしているわけにもいかないので、わざとらしく腕時計を見て、「おっと、もうこんな時間か」と驚いてみせました。

時計の針はすでに6時を廻っていて、ボクは驚いたふりをしようとしたのですが、内心本当に驚いてしまいました。なんとボクは5時間あまりも、ここでおばあさんと押し問答をやっていたことになります。

どう考えてもそんなに長い時間はここにいた気はしなかったのですが、確かにもう日が暮れかけていたし、ボクは不思議なこともあるものだと思いながら、おばあさんに「それじゃあ」と曖昧なあいさつをして、立ち去ろうとしました。

言い終わってから、またおばあさんが「それ、うそでしょ」と言うのじゃないかと心配していたのですが、おばあさんはやさしく微笑み、「今日はありがとう」と言うと、「あ、そうそう」と少し慌てたように持っていた風呂敷包みを開け、「お土産をあげなくちゃいけないわね」と言いながら、大きさの違う二つの箱を取り出しました。

その二つの箱は、大きさはかなり違ったのですが、同じ包装紙で同じ形でした。おばあさんはその二つをボクに差し出しながら「どちらがいいかしら」と、いたずらっぽく笑いました。

大きな箱と小さな箱…。どちらを選ぶべきか…。

ボクはどこかで見たような展開だと思いながらも、どちらにしようか悩みました。 最終話:終わることのない「うそでしょ攻撃」

大きな箱と小さな箱のどちらかを選べと言われた場合、昔話を参考にすれば、小さな箱を選ぶほうが賢明です。外見に目を奪われて大きな箱を選んだ愚か者は、結局ひどい目にあうことになるはずです。

ボクは小さな箱を選ぼうと思い手を伸ばしたのですが、その時ふと思いました。

よく考えてみれば、おばあさんがそんな小細工をするとも思えないし、きっとこの二つの箱の中身は手作りの桜モチかなんかで、大きな箱には桜モチがいっぱい入っていて、小さな箱にはそれなりの数しか入っていないのでしょう。

もしそうだとしたら、ボクが小さな箱を選んだら、おばあさんはがっかりするに違いありません。子供の頃からの経験によると、おばあさんというのは、とにかくたくさん食べる人が大好きです。とすると、ボクはせっかくの好意を踏みにじることになるのです。

ボクは悩んだあげく、大きな箱を受け取りました。箱を持った時の感触からすると、やはり中身は桜モチのようで、予想通りかなりの数が入っているようでした。

ボクは別に桜モチを大量に食べたいわけではないのですが、ここは大人の対応として、大喜びでおばあさんにお礼を言いました。すると、おばあさんもとても喜んでくれ、「ありがとう、助かるわ」と言いながらボクの手を強く握りしめて感謝してくれました。しかしすぐにビジネスマンの顔になり、「5000円になります」ときっぱり言い切ったのです。

意外な展開に、ボクは思わず、「それ、うそでしょ」と聞き返しました。しかし、おばあさんは妙にハッキリとした口調で、「うそではございません」と否定し、取りつくシマもありませんでした。途方に暮れたボクは大きな箱を抱えたまま、「それ、うそでしょ」と何度も聞き返すしかありませんでした。

桜舞い散る春の夕暮れ、ボクとおばあさんは攻守ところを替え、「うそでしょ攻撃」の第2ラウンドに突入したのでした。

↑ PAGE TOP