湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


55.幻の演芸場

第一話:月曜の祝日はお殿様ポーズで

行きつけの小料理屋の定休日は日曜日だけで、普段は祝日も営業しているのですが、祝日が月曜日になった場合にだけ月曜日も休みになります。休みの法則としては、このブログに通ずるものがあります。

と言っても、これは酔っ払いのママから聞いた話なので、どこまでアテになるのかは分からないので、いつかは確認しなくてはならないと常々思っていました。

昨日、電車に乗っていてその事を急に思い出し、本当に休んでいるのかどうか確認しに行ってみたのですが、やはり店は休みでした。

しかたがないので繁華街をブラブラ歩いていると、裏道の奥の方にチラッと「演芸」の看板が目に入ったので近寄ってみると、そこには小さな演芸場があり、入り口に張ってある出演予定者の中には有名落語家の名前もありました。

開演予定を見ると、そろそろ始まる時刻だったので、ボクはとりあえず入ってみることにしました。

地下に降りて、色あせたのれんをくぐって客席に入ると中は意外に広く、前の部分は座敷で、後がイス席になっていました。座敷は一段高くなっていて、その後のイス席にはソファーがいくつか置かれていて、一番後の席はパイプイスになっていました。ソファーといっても、ふかふかのものではなく、表面がつるつるで、いかにも安酒場にありそうな代物でした。

ボクは迷わず座敷に上がり、ステージ正面の前から二番目の席に腰を下ろしました。

座敷には座椅子が置いてあり、座布団が敷いてありました。

まだ時間が早かったのでお客さんは他に誰もいなくて、ボクは客席を独り占めにしながら優雅に肘掛に肩肘を乗せ、「お殿様ポーズ」で開演を待ちました。

第二話:お殿様はリアクション王

しばらく「お殿様ポーズ」で待っていると、軽快な出囃子に乗って最初の出演者が出てきました。彼はゆっくりと座布団の上に正座すると、背筋を伸ばし真正面を見据えたまま、前座というものはお客さんが誰もいなくてもやらなくてはいけない、今日はお客さんがいてとても嬉しい、というような前置きをしてから、古典落語を始めました。

彼は視線を落とさず、淡々と話していたのですが、やはり観客の反応が気になるのかチラッとボクの方を見るようになり、だんだんその回数が多くなってきました。

彼の話は非常に流暢で、生真面目さが表れていて好感は持てたのですが、まったく面白くなく、どこでどんな反応をすればいいのか分かりませんでした。しかし、だからといって無反応でいるわけにもいきません。なんといってもたった一人の客なのですから、場を盛り上げる責任を一身に背負っているのです。

ボクは必死になって面白いであろうはずの部分では大口を開けて笑い、しんみりとすべきであろう部分では、いかにも悲しそうな顔をし、精一杯のオーバーアクションで物語に沿って感情を表現しました。

端から見れば、ボクの方が芸人に見えたかもしれません。

最後の下げもよく分からないまま落語は終わり、一安心して振り返ってみたのですが、まだお客さんは誰も来ていませんでした。

ボクはまた肘掛に肩肘を乗せ、お殿様のポーズで次の出し物が始まるのを待ちました。

もちろんこの時点では、これから身に降りかかる試練のことなど、知るよしもなかったのです。

第三話:お殿様は疲れぎみ

次の出し物は漫才でした。こういう演芸場では落語とその他の出し物が交互に出てくるのが普通で、ここもそのような進行のようでした。

漫才師はかなりのベテランのようで、二人ともいまどき珍しいキンピカのブレザーに蝶ネクタイをしていました。悠々と出てきた二人はわざとらしく客席を見渡すと、片方が「いやあ、ボクも長いこと漫才やらしてもらってますけどね、お客さんより芸人の方が数が多いなんて初めてですよ」とにこやかに話し始めました。

すると相方がすかさず、「何言ってんだい、いつもはお客さんが誰もいなくてキミが客席に座っているから、お客さんと芸人の数が同じになるんじゃないの」と突っ込むと、二人同時にボクの方をチラッと見ました。

ここは笑うべきところだろうと分かってはいたのですが、いまいち漫才に集中できなくて、ボクはどうリアクションしたらいいのか分からず、ヘヘヘッとお愛想笑いをして誤魔化しました。

二人は安心したように漫才を続けたのですが、ボクはいっこうに集中できなくて、時々二人がこちらをチラッと見ると、それを合図にヘヘヘッと笑いました。

そんなことをしているうちに漫才は終わり、集中できないまま次の落語にも相槌を打ち続け、やっとの思いで落語を聞き終わってから振り向いてみたのですが、やはりまだお客さんは誰も来ていませんでした。

ボクはだんだん苦痛になってきました。しかし、ここで帰るわけにもいかず、肘掛に肩肘を乗せ直しながら、次の出し物を待ったのでした。

最終話:そして究極の芸へ

次に出てきたのはまだ若い曲芸師で、まさに紅顔の美少年の風情があり、派手な衣装もよく似合っていました。

その少年曲芸師はスッとステージの前方に立つと、何も言わずに傘を広げ、片手に持っていたボールをポイと上に乗せ、「エイッ」という掛け声とともに傘を回し始めました。

ものすごく見慣れた芸ではありますが、少年が一所懸命やっているのがいじらしく、ボクは大きな拍手を送りました。

彼はしばらく傘を回してから、ポンとボールを突き上げ、それを片手で受け取ると、両手を広げてお決まりのポーズをとりました。そして、手順を確認するようにちょっと間を取ってから、思いつめたように「では、お客さんにボールを投げてもらいましょう」と言うと、ボクの方をチラッと見ました。

もちろん、お客さんと言っても他には誰もいないので、ボクは少年に向かって小さくうなずきました。すると少年は安心したかのように爽やかな笑顔を見せ、丁寧にボールを投げてきました。ボクはそれを受け取り、彼が差している傘めがけて投げ返そうとしました。

と、その時、重大なことを思い出したのです。

それは、先日の居酒屋で顔を真っ黒に塗った渋谷ギャルが言っていた「雨が降ったから傘を差すなんて滑稽だわ。あからさまに心の中が透けてみえる。芸をしない曲芸師を見習うべきよ」という言葉でした。つまり、彼女の解釈では、雨が降ったから傘を差すのは目的のある不純な行為で、純粋な行為とは目的を持たないことなのです。だから「芸をしていない曲芸師」が傘を差す行為は、芸をしていない限りは純粋である、ということになります。

ということは、今この瞬間、少年曲芸師は傘を差していながらも、芸をしていないわけだから、彼の行為は純粋だということです。しかしボクがこのボールを投げ、彼がそれを傘で受け止めて回してしまえば、その瞬間それは芸になり、彼は目的を持った大人の生業を始めてしまうことになります。

ボクはボールを持ったまま固まってしまいました。このままボールを投げて、彼を大人の汚れた世界に引きずり込むわけにはいきません。だからといって投げなければ、彼の立場もありません。それに、彼はさっきすでに傘でボールを回しているのですから、いまさらボクが投げるのを止めたからといってなんの解決にもなりません。といって、この瞬間は彼の行為が純粋であることに間違いはなく、それを汚すことは出来ません。

ボクは考え込んでしまい、少年も健気にじっと待っていて、二人は固まったまま微動だにせず向かい合っていました。

そのままずいぶん時間が経ってしまい、後の客席の方がざわついてきました。おそらくお客さんが入ってきたのでしょう。

しかしボクは後を振り向く余裕もなく、ひたすらボールを持ったまま固まっていました。

すると、どこからともなく「ブラボー、すばらしいパフォーマンスだ」という声がしました。おそらくボクたち二人が固まっているのは芸の一種だと思ったのでしょう。それにつられるようにあちこちから「すばらしいぞ」、「見事な芸だ」いう掛け声とともに拍手が巻き起こりました。

ボクは期せずして巻き起こった万来の拍手を浴びながら、心の中であの渋谷ギャルにそっと話しかけました。

「大人ってヤツは、こんな純粋な行為さえも、芸だと思い込んでしまうんだよ」

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