湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


51.迷彩服の男

第一話:公園の前に立っていた男

ボクは毎朝、マンションのエレベーターを降りてから目の前の商店街を左に少し行ったところで右に曲がり、それから駅に向かって歩いていくのが習慣になっています。ですから、商店街を出て左側を見ることはめったにありません。

左手には小さな公園があるのですが、通勤のとき以外でもあまりそちらの方向を見ることはなく、ずっと過去まで遡って思い返してみても、その方向に目が行ったのは数回しかありません。

ところが今朝はどうしたことか、右に曲がる前にふと公園の方に目が行きました。するとそこには迷彩服を着た男性が一人立っていたのです。

その男性は、直立して微動だにせず一点を見据えていました。

帽子を目深にかぶっていたので、詳しい年齢は分からなかったのですが、頬に刻まれた深いシワからすると、かなり高齢のように思えました。

ボクは彼の様子を見て、彼は自衛隊かなにかの経験者で、退職したあとも気を引き締めるためにたまに迷彩服を着ているのだろうと思いました。それなら姿勢がいいのも納得できます。

しかし、よく見ると不似合いなものを持っているのに気づきました。

その老人は足元にカメラを数台置いていたのです。それは、秋葉原のカメラ小僧もうらやむような巨大レンズ付きの高性能デジカメばかりのようでした。

第二話:それでも立ち続ける男

今朝起きて窓を開けると、雨が降っていました。ボクは雨に煙る空をぼんやりと眺めながら、昨日公園の前で立っていた老人のことを思い出していました。今朝も立っているのでしょうか。いやいや、今朝は雨なので、いくらなんでも居ないでしょう。

そう思ってから、ハタと考え込みました。確か昨日も小雨ではありましたが、雨が降っていたはずです。家を出る時に傘をさしていた記憶があるのでそれは確かです。なのにあの老人は傘もささずに立っていました。それだけではありません。足元に数台のカメラを置いていました。雨の日に地面にカメラを置くのは無謀すぎます。普通では考えられません。

では、いったいあれは何だったのでしょうか。幻だったのでしょうか。

ボクは急いで仕度をすると、いつもより早めに家を出て、きのう老人が立っていたところまで走りました。

すると老人は昨日と同じ場所に立っていました。昨日と同じように迷彩服を着て一点をにらむように見据え、直立していました。しかし今日はカメラは地面には置いてなくて首からぶら下げていました。

ボクは地面にカメラが置かれていないことに安心してその場を立ち去り、駅に向かいました。

しかし電車の中でまたハタと考え込みました。カメラは首からぶら下げていたのですが、やはり傘はさしていませんでした。どうして彼は濡れていなかったのでしょうか。

その理由をいろいろと考えてはみたのですが、やはり結論は出ませんでした。

第三話:驚きの光景

今朝起きて窓を開けてみると、空は雲っていたのですが雨は降っていませんでした。地面はいくぶん湿り気味のようだったので、きっと夜のうちに雨は止んだのでしょう。

いつもならここでぼんやり空を眺めながら、しばし考え事をするのですが、今朝はそれどころではなかったので、急いで仕度をすると、いつもよりずいぶん早めに家を出ました。

エレベーターを降り、いつも行くのと反対側に向かいました。そしてマンションの周りをグルリと回ってから、通りに出ました。こうすればちょうど公園の先に出るので、老人が立っていた場所を通り過ぎて駅に向かうことが出来るのです。

通りに出て公園の方を見てみると、やはり老人は立っていました。迷彩服を着て、首からカメラをぶら下げ、両肩にもカメラをぶら下げていました。

昨日と一昨日は反対側から見ていたので気付かなかったのですが、老人が立っている場所の後には、秋だというのに青々とした葉を繁らせた巨木があり、その大きな枝が老人の上にまでせり出していました。だから老人もカメラも雨に濡れていなかったのです。

ボクは納得して老人の前を通り過ぎて駅に向かおうとしました。と、その時、驚くべき光景が目に飛び込んできたのです。

それは予想すらできなかったことで、ボクはうかつにもその場に立ちすくんでしまいました。

第四話:高級カメラの秘密

ボクが驚いたのは、老人がぶら下げていたカメラが一斉に動き出したからです。

老人はカメラを数台ぶら下げていたのですが、どれもこれも巨大レンズの付いた高級品で、それを無造作に首や肩から下げている様は、まるでレースクイーンジャーナリストのようでした。その高級カメラが一斉に動き出したのです。

カメラは十センチほど上がり、また一斉に止まりました。

ボクは唖然としてその光景を眺めていたのですが、その間にカメラは何度も上昇を繰り返し、胸の辺りまで行くと今度は下がり始めました。そうして足元まで下降するとまた上昇を始めたのです。老人はボクが見ていることなどまったく意に介さず、じっと一点を見据えたままでした。 

おそらく昨日も一昨日もカメラは動いていたのでしょう。しかし、ボクは一瞬しか老人の方を見ていなかったので、昨日は腰のあたりに、一昨日は足元に止まっているように見えたのでしょう。

ボクはそのままカメラが上下するのを眺めていたのですが、ふとあることに気づきました。老人はカメラの動きに合わせて深呼吸をしていたのです。

その深呼吸がまた見事で、大きくいっぱいに息を吸うと、グッと胸に溜め込み、静かに静かに吐き出していました。

ボクはその様子を時を忘れて眺めていました。

最終話:年季の入った恥ずかしがり屋

老人の深呼吸は続いていたのですが、ボクはその場を後にしました。そしていつもの通勤路に戻り、ゆっくりと歩きながら老人の事を思いました。

彼のパフォーマンスは一見奇妙に見えますが、実は恥じらいと思いやりに満ちた素晴らしい善行なのです。

その真意はあの大きな深呼吸にあります。彼は大きく息を吸うことによって、夜のうちにこの辺に集まった悪い気を全部吸い込んでいたのでしょう。この道は通学路にもなっていて子供たちがよく通ります。彼は子供たちが些細な気の迷いで自らを傷つけたり、悪い誘いにのって道を踏み外したりしないように、身を挺して邪気と闘っていたのです。

カメラも重要な意味を持っています。彼はカメラを上下動させることによって周りの悪い気を集めていたのです。

カメラの上下動というものは、人の邪気を誘発します。ある人は綺麗に写りたいと思い、不自然に横顔でレンズを追うでしょうし、またある人は、ここで写されるわけにはいかないと顔を隠すでしょう。どれもこれも子供たちには見せられない邪悪な心の表れです。老人はそんな汚れた心をひと飲みにしていたのです。

しかし、そんな彼の善行も、押し付けがましくなれば効果は薄れます。だからけっして大人たちに見破られてはならないのです。そこで彼は軍隊をイメージさせる迷彩服を着ていたのでしょう。この格好ならどんなに内面は違っていても、大人たちは眉をひそめます。そして口々に老人を非難し、子供たちをこの奇人から守ろうとするに違いありません。

表面的なものでしか判断できない大人たちの汚れた目では、彼の真意など見抜けるはずがないのです。

しかしそれにしても、なんという奥深い行為でしょう。さすがのボクもこんなに年季の入った「恥ずかしがり屋」を見たことがありません。

ボクは老人のまねをして、大きく深呼吸をしてみました。ささやかではありますが、世の悪事をひとつ飲み込んだような気がしました。

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