湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


43.巨大カギ

第一話:いつもと同じ朝

土曜、日曜と飲んだくれていたので、月曜日の朝はいつになく目覚めは悪かったのですが、それでも6時には起きて公園に散歩に出かけました。

小雨が降っていたので人通りは少なく、ボクは静かな公園を「どうして自分は雨の日にまで散歩しているのだろう」と思いながら歩きました。いつもと同じ悩みです。

公園を一回りしてから部屋に戻るとすぐに冷房を点け、テレビのスイッチを入れてからシャワーを浴び、出てくるとエアコンに張り付きながら出かける仕度をしました。

仕度が済んでから、いつものように水槽の前に座り込み、熱帯魚にエサをやりながら夢中になって食べている魚をボンヤリと眺めていました。

そんなことをしているうちにいつもの時刻になり、ボクは机の上に置いていたカギを持って部屋を出ました。

いつもの朝と同じ行動で、何一つ変わることはないように思っていたのですが、ひとつだけ違うことがありました。

それはカギの大きさが違ったのです。いつものカギは当然のことながらポケットに入るような大きさなのですが、今朝持って出たのは全長80センチ、重さ5キロはありそうな巨大カギでした。

その巨大カギでドアを締めようとしたのですが、腕にズシリと重圧がかかり、とても戸締りどころではありませんでした。

ボクはその巨大カギを眺めながら少し悩んだのですが、結局それを抱えたままエレベーターに乗り込みました。

第二話:巨大カギに集まる視線

なんとか地下鉄の駅までたどり着きホームに立っていたのですが、さすがに巨大カギを抱えているので、他の人たちの視線を感じました。

いつもは他人に無関心な都会の人々ではありますが、さすがにボクの巨大カギには危機感を持ったのか、怪しげなものを見る目で様子をうかがっていました。

それは無理もありません。この巨大カギは使いようによっては凶器にもなりうるし、おそらく飛行機には乗れないでしょう。もしかしたら電車も無理かもしれません。

そんなことを考えながら電車を待っていると、警備員らしき男性がボクのほうに脇目もふらずに歩いてきているのが目に入りました。

その真剣な顔つきからして、おそらく彼はボクに職務質問か何かして、怪しいヤツだったら駅長室に連行しようというのでしょう。

ボクはどんな言い訳をして逃れようか考えました。

たとえば「まいったなあ、カサと間違えて持ってきちゃったよ」とか言ってとぼけるか、それとも「このへんに巨大家具売り場はありませんか、このカギに合うタンスがあるはずなんですけど」とか言って先手を取るか…。

などと考えているうちに、その男性はあっと言う間にやってきて、ボクの前まで来ると、まるで軍隊のようにピタッと立ち止まり、最敬礼をしながら言ったのです。

「ご公務お疲れ様です、門番さま」

第三話:大人の扉

りりしい警備員さんが敬礼で送ってくれたので、ボクはなんの抵抗もなく電車に乗ることが出来ました。ドアが閉まってからも、警備員さんは敬礼を止めることなく硬い表情のまま見送ってくれました。

それでも周りの乗客の視線が気になるので、ボクは途中駅で降り、あてもなく街を歩きました。すると後から「門番さま」と呼びかける声がしたので振り向いてみると、そこには制服を着た数人の女子学生がいて、すがるような目でボクを見つめていました。

ボクが巨大カギをかざしながら「どうしたのだい」と厳かに聞くと、一人の女子学生が片ひざをつき、祈るようなポーズで訴えました。

「門番さま、私たちは今年の夏こそ大人の扉を開きたいのです、どうかそのカギを私たちに譲ってください」

他の女の子たちも全員祈りのポーズでボクを見上げていました。

ボクは幼さの残る彼女たちの顔を順番に見てから、「だめだ」と強く言い放ち、続けました。

「一時的な感情でこのカギを欲しがってはいけない、確かにこのカギさえあれば大人の扉を開けることが出来るだろう、しかし君たちに一度開いた扉を締める勇気はあるのか、それとも開けっぱなしにする覚悟はできているのか、それをもう一度考えてみなさい、それまで私はずっと待っている」

路上に座り込んで泣き崩れる彼女たちを残して、ボクは非常にも立ち去りました。歩きながら桜田淳子ばりの鼻にかかった甘い声で彼女たちに警鐘を鳴らしました。

「夏は心のカギを甘くするわ、ご用心!」

第四話:大物続々登場

鼻歌を歌いながら歩いていると、今後は男の声で「門番さま、お待ちしておりました」という声がしました。振り向くと、そこには一人のイケメンが立っていました。

彼は微笑みながら「ぜひそのカギを私に譲ってください、そのカギに私の財力が合わされば、門番さまが望む、2007年日本画ムーブメントの扉もきっと開くでしょう、私の会社のITを利用すれば簡単です」

彼は自信に満ちあふれた表情をしていました。おそらく成功したIT社長なのでしょう。

ボクは即座に「だめだな、君にはこのカギは渡せない」と言い切ると、続けました。

「確かに君は一瞬にして2億や3億の金を儲けることが出来るかもしれない、ならばパチンコで2億3億儲けることが出来るのか、逆に2億3億負けることが出来るのか、何十年かければパチンコで3億負けられると思っているのだ、人は途方もない時間をかけて心に怒りや喜びを刻むのだ、ムーブメントとはそんな人たちが生み出す心のうねりなのだ、君の話には時間の蓄積がない、君にはムーブメントの扉を開くことはおろか、その存在を感じることもできないだろう」

厳しい言葉に泣き崩れるイケメンIT社長を残し、しばらく歩いていると、一人の紳士が立っているのに気づきました。彼はボクと目が合うと微笑みながら右腕を差し出してきました。

ボクは彼の爽やかな笑顔を見て、彼こそがこのカギを持つのにふさわしい人物なのだとすぐに分かりました。その物腰、立ち姿の美しさ、どれをとっても申し分ありません。

しかし、残念ながら今このカギを彼に渡すわけにはいきません。

ボクは紳士が差し出した右手を強く握りしめながら言いました。

「だめだ、今このカギを渡すわけにはいかない、君には他に大事な仕事がある、君は秋の総裁選に全力を尽くしなさい」

それを聞いた紳士はボクの手を強く握り返しながら小さくうなずくと、上品に笑いました。

最終話:真のカギの持ち主

部屋に戻り、郵便受けに入っていた展覧会のDMを見ながら、カギと携帯電話を机の上に置き、それからいつものように冷蔵庫から缶チューハイを一本取り出し、そのセンを開けながら改めて机の上の巨大カギを眺めました。

今日はこの巨大カギのおかげで電車を途中下車するはめになり、それからいろいろな人に会いました。

ボクは缶チューハイを一口飲み、そして今日一日のことを振り返りました。

ひょっとしたら最初に出会った女子学生たちこそが、このカギの真の持ち主だったのかも知れません。彼女たちには季節に応じた行動力があるし、なんといっても時代を変えていけるだけの豊かな未来があります。

それとも財力に長けたIT社長こそが、真の持ち主だったのでしょうか。彼のような理解者がいなければムーブメントが持続しないのも現実です。それほど時代の扉は重いものだから。

最後に会った紳士がカギの持ち主の候補であることはすぐに分かりました。しかしボクは直前まで彼にカギを渡そうかどうか迷いました。それが国益にかなうものかどうかの判断がつかなかったのです。

考えても考えても結論は出ませんでした。

分かっていることと言えば、カギの真の持ち主が現れるまで、ボクはこの巨大カギと付き合い続けなければならないということです。

ボクは一気に缶チューハイを飲み干すと空き缶を机の上に置き、そっとつぶやきました。

「果てしない旅になりそうだな、相棒っ」

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