42.人生を語らず
第一話:海の日の出来事
昨日は「海の日」ということで日記も休みでした。普通、日記というものは祝日とかにこそ書くものではないかという声もあるでしょうが、規則正しく土日・祭日は休むというのも大切なことです。
「海の日」といっても月曜日だったので、ボクは規則正しく行動するために銀座に出かけました。いつものように画廊を回るつもりだったのですが、あまりにも暑いのでマンガ喫茶で涼んでいるうちに歩き回るのも億劫になってきたので、熱帯魚屋にでも行こうと思い付き、そのままマンガ喫茶から地下鉄の乗り場に直行しました。無理をしないのも大切です。
お昼時だったので電車は空いていて、あまり座りたくはなかったのですが、これだけガラガラだと立っているのも変なので、天井のクーラーから冷風が直撃している場所を選んで座りました。
座ってみるとこれが快適で、車内は冷房がガンガンきいていて、おまけに天井からは冷風が直撃してくるので、まるで都会のオアシスのようでした。
しばらくボクは冷風の直撃を受けながら人生の一コマを満喫していました。些細なことに喜びを感じることも大切です。
そこに若い二人組の女性が乗り込んできました。
ボクは何気なく彼女たちを見たのですが、その瞬間から彼女たちに目が釘付けになってしまいました。
彼女たちはまったく同じ服装をしていて、これが高校の制服とかなら納得もするのですが、二人が着ていたのはフワフワのピンクのドレスで、ファッション雑誌から抜け出してきたかのような、まさにエビちゃんルックだったのです。
彼女たちはボクの斜め前に並んで座ると、ごく自然に会話を始めました。ボクは見てはいけないと思いつつも、ついチラッチラッと二人を観察してしまいました。
第二話:お揃いの服を着た二人
お揃いの服を着ていても、これが幼い双子の姉妹とかならある程度納得はいくのですが、彼女たちは幼くもなかったし、とても双子には見えませんでした。それほど二人の体格には差があったのです。
際立って違っていたのは身長で、立っている時は20センチくらい違っていたし、座わっている状態でもずいぶん差がありました。また、背の高い女性の方はかなり痩せていてスラリとしていたのですが、背の低い女性はかなりふくよかで、丸々とした手をしていました。
つまりこれは、かなりスマートな女性とけっこうふくよかな女性のコンビだったのです。
その二人がお揃いの服を着ているのですから、興味も自ずと湧いてくるというものです。
二人は周りの目などお構いなしに、座るとすぐにおしゃべりを始めました。
ボクはチラチラと控えめに二人を観察していたのですが、二人はお揃いの服を着ていること以外に変わったところもなく、次第に興味は薄れていき、しばらくしてボクは観察するのにも飽きてしまって、目を閉じて「考え事モード」に入りました。
しかし二人のおしゃべりはとどまることがなく、車内には他にしゃべっている人もいなかったので、彼女たちの話し声はいやでも耳に入ってきました。
しばらく二人のやり取りを聞くとはなしに聞いていて、ボクはあることに気づきました。
二人の会話には、ある法則があったのです。
第三話:会話の中の法則
二人の会話は、ふくよかな女性が一方的にしゃべり、スマートな女性がそれに相槌を打つという繰り返しでした。ふくよかな女性の話題はコロコロと変わり、スマートな女性はその度にニコニコと笑いながらそれに答えていました。
ふくよかな女性は休むことなく矢継ぎ早やに話し続けていたのですが、ふと「そうそう」と言いながら何かを思い出したようにバッグから雑誌を取り出し、スマートな女性にそれを開いて見せながら言いました。
「ねえ、ねえ、このラーメン店、美味しそうじゃない、写真を見ただけでも麺が太くて美味しそう」
それを聞いたスマートな女性は、慌てて顔の前で手を小さく振りながら「そんなことないよ、そんなに太くないし普通だよ、だけど美味しそう」と微笑みました。
ふくよかな女性はそれを「ふ~ん」と聞き流してからまた雑誌に目を落とし、「あら、祭日の午後は行列が短いって書いてあるわよ、行ってみようか」と目を輝かせました。するとスマートな女性は「短いと言ってもそんなに短くないよ、きっと普通だよ、だけど行ってみようか」とまた微笑みました。
それを再び「ふ~ん」と聞き流したふくよかな女性は、「だけど」と少し不服そうな顔をして、「このラーメンのどんぶりって小さくない?」と続けました。スマートな女性は微笑みながら「そんなことないよ、小さくないよ普通だよ、ちょうどいい大きさだよ」と法則通りに答えました。
ボクは目を閉じたまま腕を組み、たまに薄目を開けながら二人の会話を聞いていました。そしてその中に思いやりに満ちた法則を発見したのです。
それはスマートな女性側のみの法則だったのですが、彼女はふくよかな女性の体型を気にしてか、会話の中に出てくる「太い、短い、小さい」という類の言葉をことごとく否定し、それを普通だと言い直していたのです。
もちろんこれはスマートな女性のやさしさからくるものなのでしょうが、かなり無理があるようにも思えました。
そして心配していたように、事件は起こったのです。
最終話:君子人生を語らず
ふくよかな女性はすぐに話題を変え、もうラーメンのことなどまったく頭にないようでした。それでもスマートな女性は不満を口にすることもなく、相変わらず法則通りに相槌を打っていました。
しかし、ふくよかな女性の話題が職場の話に移って、状況は一変したのです。
職場の話題になるとふくよかな女性は眉間にシワを寄せ厳しい表情で、「うちの会社って給料低いのよ、それに夏休みも短いし」とグチを言い始めました。
法則通りなら、ここでスマートな女性が「低い」とか「短い」とかの禁句を否定するところなのですが、それを待たずにふくよかな女性は言葉を続けました。
「もうあんな会社辞めようと思うのよ」
それを聞いたスマートな女性は、親友の一大事に気が動転したのか、法則のことなどまったく忘れてふくよかな女性を懸命になだめ始めました。
「そんな短気を起こしちゃだめよ、どんなに小さな会社で給料が低くてもいいじゃないの、お金がなければチビチビ使えばいいのよ、スキヤキもブタ肉で我慢して、そうそうダイコンを入れるのも経済的よ、とにかく太く短く生きようなんて考えちゃだめ、人生は細く長くよ、細く長くが理想よ」
今まで抑えていた禁句がすべて噴きだしてしまったかのようでした。スマートな女性は本来なら否定しなくてはいけないはずの禁句を思う存分並べた挙句、「細く長くが理想よ」とまで言い切ってしまったのです。
当然ふくよかな女性は顔を真っ赤にして怒り、勢いよく立ち上がると「どうせ私なんか小さな会社で給料も低くて、チビでブタでダイコン足よ、太く短く生きるしかないじゃないのよ」と捨て台詞を吐くと、隣の車両に行ってしまいました。
スマートな女性はやっと自分の失敗に気づいたのか、すぐにふくよかな女性の後を追って駆け出していきました。
ボクはその後姿を見送りながら、そっとつぶやきました。
「君子人生を語らずだな」