38.星占い
第一話:異例のラッキーアイテム
朝のテレビ番組の終わり頃には、だいたいどの番組も星占いをやっているもので、ボクも毎朝聞くとはなしに、どこかの番組の星占いの結果を聞いています。
その日の朝も、それほど注意して聞いていたわけではないのですが、自分の星座のラッキーアイテムが「おにぎり」だということが耳に入りました。
普段は占いの結果なんて気にならないし、それによって一日の行動が左右されるようなことはないのですが、その日の「おにぎり」という異例のラッキーアイテムには心奪われました。すぐにボクの頭の中はホカホカの「おにぎり」でいっぱいになりました。
それに、女性アナウンサーはラッキーアイテムが「おにぎり」だと言ってから、「おにぎりを食べてがんばりましょう」と付け加えました。つまり、ラッキーアイテムは「おにぎり」自体ではなく、「おにぎりを食べる」という行為なのです。
ああ、なんて行動的なラッキーアイテムでしょう。
ということは、材料を厳選して「おにぎり」を作っている達人も、スーパーの棚に絶妙に「おにぎり」を並べている名人も、「おにぎり」の専門家でありながら、今日のラッキーアイテムを有利に活用できるとは限らないのです。
とにかく今日は「おにぎり」を食べなければ運は開けないのですから、一般の人も「おにぎり」の専門家も条件はいっしょです。横一線に並んでのスタートになります。
家を出てからもそのことが頭を離れず、女性アナウンサーの「おにぎりを食べてがんばりましょう」という明るい声が、頭の中をグルグルと巡っていました。
第二話:「おにぎり」
その日は一日中「おにぎり」のことが気になっていたのですが、「おにぎり」ぐらいはいつでも食べられるだろうと思い、それほど積極的に「おにぎり」を求めませんでした。
普通に考えれば「おにぎり」を食べることはそんなに難しいことではありません。買おうと思えば、おにぎり専門店もあるし、コンビニでも売っています。食べようと思えば、公園のベンチでもいいし、人気のない裏通りなら歩きながらだって平気です。
「おにぎり」はいつでもどこでも食べられるのです。おそらく「おにぎり」を食べることは、ラーメンを食べることよりも簡単なことでしょう。
そんなこともあって、何度も「おにぎり」を食べる機会はあったのですが、あえて強行はしませんでした。
たとえば、仕事の打ち合わせで喫茶店に入った時、メニューを見ると「おにぎり」はあったのですが、さすがに打ち合わせの席で「おにぎり」はないかなと思い、ごく普通にコーヒーにしました。それは当たり前の大人の選択です。
コンビニにも何度か寄って「おにぎり」売り場の前も通ったのですが、買うことはありませんでした。その後何度でも買う機会はあるだろうし、わざわざコンビニで買う必要もないと思ったのです。
そんなことを繰り返しているうちに夕方になりました。
あんまり先送りしていると時間がなくなるので、つにボクは「おにぎり」を買う決心をして、前から目をつけていたおにぎり専門店に入りました。
そして、できるだけ高級そうな「おにぎり」を手に取ったのです。
第三話:スーパーデラックス「おにぎり」
最近の「おにぎり」は高級志向になっているようで、一個300円とか500円とかのが平気であります。その中でも、ボクが迷わず手に取ったのは、おにぎり棚にさん然と輝くスーパーデラックス「おにぎり」でした。
ボクはその高級「おにぎり」を持って、いそいそとレジに向かいました。
その時、「おにぎりを食べてがんばりましょう」という明るい声がまた蘇ってきたのです。
ボクは思わず手に持っていたスーパーデラックス「おにぎり」を見つめました。そして改めて、この「おにぎり」を食べてがんばれるのかどうかを自問自答しました。
そして、ボクはたいへんな勘違いをしていることに気づいたのです。
この高級「おにぎり」は、誰がにぎったものかも分からず、もしかしたら機械で製造されたものかも知れません。食べれば満足するかもしれませんが、がんばろうという気にはなれないでしょう。
「おにぎり」を食べてがんばろうという気になるには、「おにぎり」は単なる食料ではなく、愛情とか慈しみが詰まった心の糧でなくてはなりません。ですから、「おにぎり」は手作りでなければ話にならないのです。
ボクは慌ててスーパーデラックス「おにぎり」を放り出すと、店を飛び出し、夢中で走りました。
もう時間がありません。
「待っていてくれ、手作りおにぎり」
ボクは心の中で叫ぶと、夕暮れの街を爆走しました。
第四話:愛情いっぱいの「おにぎり」
フラフラになりながら、ボクはやっとの思いで「愛情いっぱい手作りおにぎりの店」に到着しました。ここは手作りの「おにぎり」がウリの人気店で、目の前でおばちゃんがにぎってくれます。具は豊富ですが、高級というわけではなく、いかにも体によさそうな天然素材を使っています。
ここならおばちゃんの愛情がこもった手作り「おにぎり」を食べられます。それを食べればボクもきっとがんばれるでしょう。
ボクはいそいそと店内に入りました。
もう遅い時間だったのですが、店内はけっこう混んでいて、ボクはとりあえず入口付近のカウンターに座ろうとしたのですが、その時ちょうど若い女性客の声が耳に入ってきました。彼女はいっしょにいる女性に「ここのおにぎりを食べると落ち着くよね」と話しかけていました。
ボクはそれを聞いて愕然としました。
確かにここの「おにぎり」は愛情いっぱいだし、家庭的な雰囲気もあるので落ち着くでしょう。しかし、そんな甘い環境で「おにぎり」を食べて、がんばろうという気になるのでしょうか。
本来「おにぎり」は携帯食です。山や海など普通の食事を摂ることが困難な場面でこそ、その真価を発揮するものなのです。だからこそがんばろうという気になるんじゃないですか。
ところがここはどうでしょう。この店にさえ入れば、何の努力もせずに愛情いっぱいの手作り「おにぎり」が食べられ、おまけに具だくさんのみそ汁だって付きます。まさに堕落です。ここは堕落の館なのです。
ボクは席に座ることなく店を飛び出しました。
もう時間がありません。
「どうすればいいんだ、どこで『おにぎり』を食べればがんばれるんだ」
ボクは泣きながら叫び、あてもなく爆走しました。
最終話:幸せの理解者
夜の街をあてもなく走り、疲れ果てて立ち止まりました。
時計を見ると、もうあと数分で12時を過ぎようとしていました。
ついにボクは、今日のラッキーアイテムである「おにぎり」を食べてがんばることができませんでした。
ボクは天を仰ぎ、心の整理をしてから歩き出しました。
すると、どこからともなく「おにぎり食べてがんばってよ」という若い女性の声がしてきました。驚いて声の方を見てみると、公園のベンチに若い男女が座っていて、女性はバッグから何かを取り出そうとしていました。
男性は汚れた作業衣を着ていて、かなり疲れているようでした。おそらく彼はまだ仕事の最中で、わずかな休憩時間に寸暇を惜しんで二人は会っているのでしょう。恋人とはだいたいそんなものです。
女性は包みの中から「おにぎり」を取り出し、明るい声で「食べなきゃ元気出ないよ」と言い、続けて「おにぎり食べてがんばってよ」と、ボクの頭の中を一日中巡っていたセリフを、鮮やかに再現してみせました。男性のほうは、疲れ果てて食べるのもおっくうなようでしたが、恋人の差し出す愛情いっぱいの「おにぎり」を、爽やかに笑いながら受け取りました。
ボクは息を飲んでその様子を見つめました。
恋人が作った愛情いっぱいの「おにぎり」。そして、きつい仕事の合間、食欲もないのにその「おにぎり」を受け取った男。「おにぎりを食べてがんばる」条件はすべて揃っています。これで彼がボクと同じ天秤座なら、何かラッキーなことが起こるはずです。
ボクは夜の公園で木陰に身を潜め、ベンチに座っている若い男女の行動を必死で観察し続けました。背後から制服を着た男が近づいているとも知らずに…。