湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


29.湯気の向こう

第一話:めんそーれ

近所にけっこう大きなスーパー銭湯があってたまに行くのですが、そこは人気があるようで、いつ行っても満員です。いくつかある湯船は、どれもこれも全裸の成人男性でいっぱいで、目を覆うばかりの光景が果てしなく続きます。

しかしどうしたことかスチームバスだけはいつ行ってもガラ空きで、結局ボクはいつもスチームバスに入ることになります。

今さら言うことでもないのですが、スチームバスというのは湯気だらけです。

湯気の発生には波があって、入った時にはまだ室内が見える程度でも、だんだん湯気が湧き出してきて、前が見えなくなることもあります。それでもそれは数分のことで、次第に湯気は薄れてきて、だんだん見えるようになってきます。

先日もそのスーパー銭湯に行って、いつものようにスチームバスに入って一番奥の席に座りました。

入ってしばらくすると、いつものように湯気が急激に湧き出してきて、周りがまったく見えなくなりました。ボクはこれも数分の我慢だと思っていたのですが、その時はいつまでたっても湯気が引かず、それどころか次から次へと湯気が湧き出してきては、どんどん蓄積されているようでした。

すぐに周りは真っ白い湯気だらけになって、どんなに目を凝らしても、壁も床もまったく見えず、自分の手のひらを見るのでさえ、なめるように顔を近づけなくてはなりませんでした。

さすがにここまでくると、このまま遭難してしまうんじゃないかと不安になってきて、真面目に脱出方法を考えているところに、どこからともなく「めんそーれ」という声がしたような気がしました。

ボクは声がしたほうを目を凝らして見たのですが、もちろんどんなに目を凝らしても、ただ白い湯気が見えるだけでした。

第二話:親戚のおじさん?

思えば、あまりにも不自然です。

「めんそーれ」は沖縄の言葉で「いらっしゃいませ」の意味なので、この場面にふさわしくありません。万一、この湯気の向こうに沖縄の人がいたとしても、こんなところで「めんそーれ」とは言わないでしょう。沖縄物産展じゃないんだから。

だいいち、このスチームバスに他の人がいるわけがないのです。ボクが入って来た時はまだ湯気はそれほど多くなくてすべての席が空いているのが見えました。その空席の前を通って一番奥の席まで来たのだから、それは間違いありません。その後、誰も入ってきていないのだから、ボク以外の人がこの中にいるはずはありません。

ボクはさっきのは空耳なのだろうと思いました。きっと湯気が噴き出す音か何かがそう聞こえたのに違いありません。それ以外には考えられません。

それに今はそんなことに囚われている場合ではありません。まず解決しなくてはいけないのは、どんどん湧き出している湯気のほうで、このまま増え続ければ、そのうち本当に遭難してしまうでしょう。

ボクは今のうちに脱出しようと、足元を探りながら立ち上がろうとしました。その時、また同じ方向から声がしました。今度ははっきりと。

「ひさしぶりだな、もう30年経つのか」

その声を聞いてボクはビクッとしました。それはまるで親戚のおじさんのような口ぶりだったし、どこか聞き覚えがあるような気もしました。

ボクは懸命になって声がした方を凝視したのですが、もちろん真っ白い湯気以外何も見えませんでした。

第三話:人生を振り返る

この湯気の向こうに誰かがいることは間違いありません。

今度の声ははっきりと聞こえたし、30年ぶりということは、ボクを以前から知っている人ということでしょうか。ひょっとすると、本当に親戚のおじさんがいるのかもしれません。しかし沖縄におじさんはいないし、仮に沖縄に親戚のおじさんがいたとしても、この場所で「めんそーれ」とは言わないでしょう。沖縄物産展じゃないんだから。

悩んでいると、また声がしました。

「ちょっと汚れてるな」

ボクはそれを聞いて愕然としました。

確かにこの30年でボクは汚れてしまいました。

振り返ってみれば、妥協の連続でした。ボクの歩んできた道に正義も理想もありません。間違ったことにも目をつむり、自分の都合のいい事ばかりを選択してきました。そして、それが大人になることなのだと自分に言い聞かせながら、正当化してきたのです。ボクにはもう少年の頃の純真な心はありません。汚れきっているのです。

しかし、こんな汚れきったボクにも「ちょっと汚れてるな」と言ってくれているのだから、この声の主はボクのことを本当に心配してくれているようです。きっと本物の親戚のおじさんです。

ボクは声の主に、精一杯の愛情を込めて「おじさん」と呼び掛けようとしました。その時、また声がしたのです。

「磨けば高く売れそうだな、これで楽して暮らせるぞ、ふぉ、ふぉ、ふぉ」

ボクは耳を疑いました。この声の主はボクをどこかに売り飛ばそうとしているのです。

第四話:磨けば売れるタイプ

それにしても、「磨けば高く売れそうだな」とはなんという言い草でしょうか。

ボクは自分の体のラインを確認しました。どこをどう磨けば売れるのか不思議ではありますが、きっとボクには高い潜在能力があるのでしょう。見る人が見ればわかる「売れる魅力」を秘めているということです。

しかし、いくら磨けば売れるタイプでも、こんなところで得体の知れないヤツに捕まって磨かれるわけにはいきません。きっとヤツは悪のシンジケートの一員に違いありません。

ここで捕まってしまえば、歌や踊りのレッスンを繰り返し、磨きに磨かれ、数カ月後にはどこかの国で歌いながら踊っているかもしれません。そんな自由のない人生はご免です。

それに「楽して暮らせるぞ」という欲にまみれた安易な考え方が気に入りません。額に汗して働く人間が報われない世の中にしてはいけないのです。

とにかくボクはこのスチームバスから脱出しなければならないと思い、相変わらず湯気でまったく前は見えなかったのですが、思い切って入り口に向かって走りました。

途中で何度かつまずきそうになりましたが必死になって走り、やっとの思いで入り口までたどりつき、ドアを勢いよく開けました。

スチームバスを出る時、後ろから「めんそーれ、めんそーれ」と叫ぶ声が聞こえましたが、そんなものは無視して、振り返りもせずにスチームバスを飛び出し、一目散に脱衣所を目指したのでした。

最終話:声の正体

スーパー銭湯を逃げるように飛び出し、しばらく全速力で走ってから物陰に隠れ、追っ手が来ないことを確認して、ゆっくり歩きだしました。

それにしても危ないところでした。もう少しで悪のシンジケートに捕まるところでした。美しいというのも楽ではありません。

安心したら急にのどが渇いてきて、ボクは自動販売機でジュースを買うことにしました。500円玉を入れて、出てきたジュースを飲みながら、何気なくおつりを手のひらに広げてみると、おつりの中に一枚だけ違う100円玉があることに気づきました。よく見るとそれは、沖縄エキスポの記念コインでした。

久々にそのコインを見て、ボクの頭の中には沖縄の青い空が鮮やかに蘇ってきました。当時はだれかれとなく「めんそーれ」と言い合って沖縄エキスポの成功を祈ったものです。ボクは当時を思い出して、「めんそーれ」とコインに話しかけてみました。コインにはEXPO'75と刻印してあり、沖縄エキスポの開催年を示していました。

「ひさしぶりだな、もう30年経つのか」

ボクは胸がいっぱいになって、そうつぶやきました。おそらくこのコインを見た人は誰でもそう言うに違いありません。それほど郷愁を呼ぶコインなのです。そう思うと、このコインは当時を懐かしむマニアの間で高く売れるような気がしてきました。

ボクはコインを裏返してみました。裏はすこし汚れていたので、つい「ちょっと汚れてるな」と独り言を言いながら、こすってみました。汚れはすぐに落ちたので、磨けば取れる程度のもので、コインの価値を下げることはないようです。

ボクは「磨けば高く売れそうだな、これで楽して暮らせるぞ、ふぉ、ふぉ、ふぉ」と喜びの雄叫びを上げると、勢いよく駆け出しました。

目の前にはいつの間にか霧が広がっていたのですが、そんなものはお構いなしに、ボクは「めんそーれ、めんそーれ」と叫びながら、濃霧の中を爆走したのでした。

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