湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


28.夢の回転寿司

第一話:穴場教えます

今さら言うのもなんですが、回転寿司というのは便利なものです。なんたって街を歩いていて回転寿司屋を見つけて「ああ、寿司でも食べようか」と思った数秒後にはもう出来上がった寿司を手にできるわけですから、他のどんなに早いファーストフードでも、このスピード感は味わえません。

それに寿司は食事だと思うと高いのですが、酒のつまみだと思えばけっこうお徳です。一皿120円のつまみなんて、格安の居酒屋でもそうはありません。

いいことだらけの回転寿司なのですが、気に入らないこともあります。それは時間帯が悪いと寿司がまったく回っていないことがあって、座って即食べようと意気込んで入ってみて愕然とすることがあります。

その上追い討ちを掛けるように職人さんが「回っていないものは遠慮なくご注文ください」なんて言ったりして、呆然と座っているボクの心を突き刺します。

回転寿司なのだから、店に入った時に目の前を回っている寿司を手にして、運命の出会いを満喫しながら食べるのが醍醐味なのに、自分から注文して寿司を握ってもらうなんて、堅実な人生のレールの上を歩けと言われているようなもので、親戚のおばさんが強引に進めている見合い話くらいに滅入ってしまいます。挙句の果てに「遠慮しないで」とは、どこまで人を傷つければ気が済むのだと声を荒げたいところです。もうボクのガラスのハートは粉々です。

そんな事情があるので入る店は吟味しないといけないのですが、一軒だけボクのお気に入りの回転寿司屋があります。その店はちょっと変わっているのですが、なかなかのすぐれものです。

どこが変わっているのかというと、他の店と決定的に違うのはベルトの回転の仕方です。

一般の回転寿司はベルトコンベアーみたいな物の上に寿司の皿が乗っていて、それが回転してお客さんの前を回っているので、当然ベルトは横に回転しています。

ところが、その店は違います。ベルトが縦に回転しているのです。

第二話:寿司落ちてます

回転寿司のベルトが縦に回転しているといっても、俄かには想像しにくいかもしれませんが、戦車のキャタピラを思う浮かべていただければよいと思います。だいたいあんな構造のベルトが壁にくっついていて、その上に寿司の皿が乗っていて回転しているのです。

もちろん、寿司も皿もベルトにくっついているわけではないので、ベルトが半回転して誰も取る人がいなければ、寿司の皿は落ちていきます。

店は小さくて椅子が3つしかないので、お客さんは満員でも3人です。右側に厨房があってそこから寿司の皿が出てきて、お客さんの前を通っていきます。左側には小さなのれんのような古い布が下がっていて、誰にも取られなかった皿は、そののれんをくぐって消えていき、落下します。

落下の時の音は大きくて派手で、その音を聞くと、なにか取り返しのつかないとんでもないことをしてしまったような気がします。まさにスリルとサスペンスを満喫できる回転寿司屋なのです。

先日、その店の前を通った時、中をのぞいてみたらお客さんが誰もいなかったので意を決して入ってみました。

店に入って、どの席に座ろうか迷いました。

3つの席のうち、最も有利なのは厨房に近い右側で席で、選択権があります。逆に左端は最後の砦となるので、好き嫌いのある人には勤まりません。この店は席によって心構えがずいぶん違ってくるのです。

ボクは迷った挙句、真ん中の席に腰掛けました。

その時はこれが最も無難な選択だと思ったのですが、この選択によって後に命がけの試練にさらされることになろうとは、もちろんこの時点では知るよしもなかったのです。

第三話:引きこもり店主

真ん中の席に座ってしばらくすると、ビールが入ったジョッキが流れてきました。まさかこれを取り逃してしまうわけにはいかず、ボクは慎重にそのジョッキを取り、一口グビッと飲みました。

この店の店主は愛想はいいのですが、顔を出すのはお客さんが入ってきた時だけで、あとは厨房に入ったきりで、よほどのことがない限り出てきません。客商売とは思えないくらいに極度の引きこもりです。まあ、それがいいところでもあるのですが。

ビールを飲んでいると、今度は茶碗蒸しが流れてきました。もちろんボクはそれも慎重に取りました。今は一人しかいないので、ボクが取らなければすべて落下してしまいます。

しかし茶碗蒸しが流れてきたところを見ると、まだ時間が早いので、しばらく寿司は回ってこないようです。ボクはちょっと安心して、茶碗蒸しを食べながらぼんやりビールを飲んでいました。

そこに次のお客さんが入ってきました。店主は厨房からちょっと顔をのぞかせて「へい、いらっしゃい、スーさん、ひさしぶり」と威勢よくお客さんを迎えましたが、愛想のいいのはここまでで、すぐにまた顔を引っ込めてしまいました。

そのお客さんは「スーさん」と呼ばれていたので、おそらく「鈴木さん」なのでしょう。最近は映画の影響か、中年紳士の鈴木さんは「スーさん」と呼ばれることが多いようです。

スーさんは迷わずボクの左側の席、つまり落下直前のいちばん条件の悪い席に座りました。おそらくボクと同じで、厨房に近い有利な席は控えたのでしょう。奥ゆかしくて好感が持てる選択です。

そこにすぐに次のお客さんが入ってきました。店主はまた愛想よく「へい、いらっしゃい、ミキさん、ひさしぶり」と言うと、すぐに厨房に引きこもりました。

その時、スーさんの耳の後ろあたりが一瞬ピクリと動いたような気がしました。

ボクはまったく気づかなかったのですが、ボクの運命はこの時決まっていたのです。

第四話:難解キャンディーズ

お客さんは3人ですが、これで満員になりました。ミキさんは当然空いている右側の席に座り、ちょっと申し訳けなさそうにボクたちを見ると、はにかんだように笑いました。爽やかな中年紳士という笑顔でした。

しばらくしてビールのジョッキと茶碗蒸しが二つずつ流れてきて、スーさんとミキさんはそれを一つずつ取って、ビールをグビッと飲み、茶碗蒸しを食べ始めました。

その様子を見ていてボクは胸が熱くなりました。知らぬ同士が偶然隣り合わせ、同じものを食べ、同じものを飲んでいます。3人すべてお揃いです。それを思うと、まるで運命の出会いを果たした3人グループのように強い連帯感が湧いてきました。

そこにどうしたことか店主が顔を出してきて、「スーさん、もうすぐ寿司が回りますよ」と普段なら言うはずもないことをわざわざ言い、すぐに顔を引っ込めました。

ボクは、どうしてスーさんだけに言ったのだろうと思いながら、何気なくミキさんのほうを見ると、今までにこやかだったミキさんの表情が一変していました。彼はなにか重大なことに気づいたように、何度もうなずいていました。

不思議に思いスーさんを見てみると、スーさんもまた様子が変わっていました。彼は目を閉じて神経を集中させているようで、その姿はまるで舞台に上がる前のミュージシャンのように緊迫感にあふれていました。

ボクはただならぬ二人の姿を見て、ついにある重大な事実に気づきました。

左側にスーちゃん、右側にミキちゃんがいるということは、真ん中のボクはランちゃんです。この並びでスーちゃんとミキちゃんに挟まれた場合、真ん中の人は必然的にランちゃんになります。これはボクらの世代が共有して持っている掟であり、30数年前キャンディーズが登場して以来、今も脈々と受け継がれている不文律なのです。

苦節30年、ボクはついにランちゃんになったのです。それはあまりにも突然の出来事でしたが、ボクは喜びをかみ締めながら、覚悟を決めました。

なんといってもここは寿司屋ですから、そんじょそこらのランちゃんとは訳が違います。寿司屋でランちゃんになるということは、あの最強と呼び声高い「命知らずの暴れん坊」になるということなのです。

最終話:寿司屋のランちゃん大暴れ

期待と緊張につつまれるなか、ついに寿司が流れ始めました。

まずイカが流れてきました。ミキちゃんは取らずにボクも見送り、スーちゃんがそのイカを取りました。次もイカが流れきて、それはミキちゃんが取りました。予想通りの静かな立ち上がりです。それから次々にエビやマグロが流れてきて、イカと同じような展開でスーちゃんとミキちゃんが交互にそれを取りました。

ボクは口を真一文字に結び、腕を組んだまま微動だにせず、イカもエビもマグロも平然と見送りました。そんなものランちゃんの食べ物ではないのです。

しばらくしてやっと待望のイクラが姿を見せました。とうとう暴れん坊の出番です。しかもイクラは3皿続けて流れてきています。店主の粋な演出なのでしょう。

普通なら同じものが3皿あるのですから、3人で一つずつ取るところですが、「寿司屋のランちゃん」はそうはさせません。ボクは目をカッと見開き、勢いよくミキちゃんの前に手を伸ばすと一皿目を平らげ、続けざまに二皿目の寿司をほおばると、三皿目をスーちゃんの目の前でキャッチしたのです。

その姿はまさに伝説の暴れん坊「寿司屋のランちゃん」そのものでした。そう、「寿司屋のランちゃん」とは、人の分まで魚卵を食べ尽くす伝説の魚卵食いなのです。

ボクの勇姿を見て、スーちゃんもミキちゃんも感慨深げでした。厨房からは店主のすすり泣く声が聞こえてきました。おそらく、伝説のランちゃんが自分の店に誕生したことに感極まったのでしょう。

もう魚卵食いのランちゃんを止めることは誰にもできません。ボクは次から次へと魚卵だけを奪い取ると口に詰め込み、ビールで流し込みました。あれほど医者に止められていたビールも魚卵も、問答無用の乱れ食いです。こんなところを栄養士さんが見ていたら卒倒してしまうかもしれません。しかしこれはランちゃんの宿命なのです。命をかけても成し遂げなくてならない一世一代の任務なのです。

ボクは力の限りを尽くして魚卵を食べまくり、やがて店の魚卵を食べ尽くした頃、戦いの終わりを察したのかスーさんが静かに席を立ちました。

その瞬間、スッと呪縛が解け、ボクは力なくその場に倒れ込んでしまいました。すぐにスーさんとミキさんが駆け寄り、涙ながらにボクを抱き起こしてくれました。

二人の仲間は泣きながら「ランちゃん、ランちゃん」と呼びかけてくれました。それを薄れゆく意識のなかで聞きながら、青春のすべてを魚卵食いに捧げたボクは「これからは普通のランちゃんになりたい…」と告げるのが精一杯でした。

遠ざかる意識のなか、あの解散コンサートでのラストシーンが大きな拍手とともに蘇ってきたような気がしました。

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