湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


19.挟まった二人

第一話:見つめ合うカップル

銀座というと高級クラブやブランド店の印象が強いので、どの店も時代の最先端を行った高級店ばかりのような印象を与えがちですが、もちろん普通の街ですから安い居酒屋もあれば古びた立ち飲み屋もあります。

にぎやかな表通りから一本道を入ると昔ながらの路地があり、そこには時間が止まったような光景が残っています。ボクがたまにいく飲み屋などは、40年、50年の常連ばかりで、いつ行っても同じ顔ぶれで同じ話をしています。だから10年ぶりくらいでいってもなんの違和感もなく、まったくもって昔のままです。

店の前には無造作に縁台が置かれていて、ずいぶん長い間野ざらしになっているのか、木の表面はカサカサで、とても座る気にならないような代物で、誰かが座っているのを見たこともありません。入り口の脇にある大きな甕の中の水は深緑に濁っていて、ごくまれに金魚らしき赤い影が見えて、すぐに消えます。とにかくほったらかしなのです。

先日の夕方、その路地を通っていたら、店の前に顔なじみの常連さんが立っていて、ボクと目が合うと気まずそうな顔をして入り口のほうを見ました。どうしたことかと思って彼の視線の先を追ってみると、なんと入り口に巨大なリュックサックを背負った若いカップルが挟まっていました。

おそらく二人同時に入ろうとして挟まったに違いないのですが、どちらかが後ろに下がればすぐに脱出できる体勢なのに、そのカップルは動こうとせず、焦る様子もなく、しっかり手を握りあい、たまに見つめ合ったりもしていました。

ボクとその常連さんは、どうしたものかと途方にくれたのですが、立って見ているのも無粋だし、縁台に腰掛け、二つ並んだ巨大リュックサックが動きだすのを見守ることにしました。

挟まった二人は相変わらず手をしっかり握りあい、動きだす気配はまったく見せませんでした。

第二話:あれに見えるは山男

今二人が挟まっているのは飲み屋に直接入る入り口ではなくて、ここを入ると長い通路があって、その先に飲み屋の入り口があります。ですから店の人がここまで出てこない限り、二人が発見されることはないです。

二人は依然動き出しそうな気配はないし、並んで縁台に座っている常連さんとも顔見知りだというだけで、これといって話すこともないので、ボクは暇をもてあまして、縁台の横にある植木を観察していました。

植木といってもほったらかしなので、枝も延び放題で、落ち葉もそのままです。じっくり枝を見てみると、先の方に黄緑色の葉が出ているのに気づきました。秋でも新芽は出るものかと、ちょっと新鮮な驚きがあって、細かく黄緑色の葉を観察することにしました。

ちょうど定食屋で新聞も雑誌もなくて、読むものがないのでテーブルの上に置いてある調味料のビンに書いてある説明文を読んでいて、ちょっとした知識を得る喜びに似ています。

ボクは暇にまかせて葉っぱの生え方などを観察していたのですが、ふと見ると路地の向こうから杖をついた老人がゆっくりとこちらに向かってくるのに気づきました。

その姿を見て、ボクは新しい展開の予感に胸躍らせました。あの老人ならこの状態を打破できるに違いありません。あの老人はこの界隈の主ともいえる長老で、この飲み屋には推定で60年は通っているはずです。若い頃は難関といわれる山をいくつも征服した山男で、軟弱な若者が大嫌いな飛び切りの頑固ものです。

ボクは心の中で劇的な事件を期待してワクワクしながら、相変わらず黄緑色の葉っぱを観察していました。

第三話:ロバの悩み

長老が店の前まで来たところで、ボクは縁台から立ち上がって長老に席を譲りました。長老は「お、悪いな」と言いながら縁台に腰掛け、まるで風の匂いでもかぐように「ああ、いい風だ」と言って目を閉じました。

ボクはその優雅な仕種につられて、つい「もう秋の風ですよね」と爽やかに答え、自分の言葉にびっくりしました。

いつもなら季節や天気のあいさつなんて、「ああそうですね」くらいの気のない返事をするはずなのに、どうしたことか今のボクは、秋が来たことを全身で感じ、驚くほど素直にそれを言葉にしていたのです。これではまるで、心に曇りのない少年ではないですか。

ひょっとすると、あまりにも長いこと黄緑色の葉っぱを眺めていたので、脳に酸素が行き渡り、ボクは「素直ないいヤツ」になってしまったのかもしれません。不思議なこともあるものです。

それにしても気になるのは長老の態度で、入り口に挟まっている愚かな二人に気づいていないのか、見たこともないような穏やかな表情をしていました。あの二人に気づいていれば、こんなにのんびりしているわけがありません。いつものガンコじんさんの本領を発揮して、迷惑なカップルの頭の一つや二つ杖で叩いてもおかしくないはずです。

ボクは穏やかな長老の表情を見て、「ああ、いい顔だ」と思いました。そしてまたびっくりしました。

よくはないはずです。ボクは事件を期待しているのです。このガンコじんさんが暴れまくって、場違いなところで挟まっている愚かなカップルを追い出すことを期待しているはずなのです。

ボクは清らかになってしまった心を抱いて、ロバのように悩みました。

第四話:おとぎの国の旅人

ボクが来る前からいた常連さんも普段はけっして愛想のいいほうではないのですが、長老の横で見たこともないような笑顔を見せていました。

長老とその常連さんが並んで縁台に座り、ボクが長老の前に立っていたのですが、三人とも普段とは別人のように朗らかで、長老はよほど気分がいいのか「ああ、山に登った時のようだ」としきりに繰り返していました。

長老の言葉に相槌をうっていた常連さんが、ちょっと視線を上げて立ち上がったので、そちらの方を見ると、長老と負けず劣らずの超常連のおばあさんがこちらに向かって歩いてきていました。

常連さんがおばあさんに席を譲り、これでこの店で一、二を争う長老の男女が隣あって縁台に腰掛けることになりました。その光景を見ていると、なんだかとてもめでたいことが起こったような気がして、また心がウキウキと高揚してきました。

おばあさんは、巾着袋から銀色の包みを取り出し、それを開けると中にアサリの佃煮が入っていて、おばあさんは「これ私が作ったのよ」と言いながらアサリに楊枝を一本一本突き刺して、ボクたち三人に渡してくれました。

ボクたちは口々に「うまい、うまい」と連呼しながら、踊り出さんばかりに喜びを表現しました。まるでミュージカルのように大げさな表現だったのですが、それくらいのリアクションでないと気が済まないくらい、心の底からこんなにおいしいものは食べたことがないと思いました。

それを聞いたおばあさんは、いつものように「そこの道は昔は川だったのよ。この辺は海が近いからよくアサリがとれたものよ」と何十回となく聞いた話を始め、ボクたちは「うん、うん」と子供のようにうなずきました。

ボクの心は、まるでおとぎの国に迷い込んだ旅人のように、どんどん純化していったのでした。

最終話:ついに正義の味方登場

完全にハイになってしまったボクたち四人は、些細なことで大笑いし、同じ話を何度も聞いて「うん、うん」とうなずいて感心しました。

長老は山男だから山の話ばかりをしていました。もちろん何度も聞いた話ですが、改めて聞くと、そのどれもが新鮮な体験談で、特に「山で野宿する時は、柴を刈って火を起こすんだよ」という話が妙に心に残りました。

おばあさんは、そこの道は昔は川だったという話ばかりをしていました。もちろん何度も聞いた話ですが、銀座の真ん中に川が流れていたのを想像するだけで、心が豊かになりました。特に「その川の水はきれいでね、昔はみんなそこで洗濯してたのよ」という話が妙に心に残りました。

ボクたちはどんな話を聞いても心から感心し、時に大笑いしました。

まるで荒んだ現代人の心の中に巣くう「鬼」を、正義の味方が現れて退治してくれたんじゃないかと思うほど、このうえなく晴々とした気持ちになりました。

ボクはそう思ってすぐに笑って否定しました。そりゃあそうです。桃太郎じゃあるまいし、鬼退治なんてできるわけがありません。いくら長老が山に柴刈りに、おばあさんが川に洗濯に行ったとしても、肝心の桃太郎が生まれる大きな桃がありません。

と思いながら、すっかり忘れていた入り口に挟まっているカップルを見ると、そこには二つ並んだ巨大なリュックサックがあって、それはまさに巨大な桃でした。

そう思って見ていると、リュックサックの内側から誰かが蹴とばしたようにリュックが大きく揺れました。

あの蹴りっぷりからすると、中にいるのは飛び切り元気な男の子では…。

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