08.京都足跡巡り-ミクシィ哀歌
第一話:ミクシィ?
京都の街は蒸し暑くて、歩いているだけで汗がダラダラと流れだすほどで、ボクは喫茶店をハシゴして涼みながら何とか用事を済ませました。夕方からは少し暑さも和らいできたので、画廊に入ったりしながら「京都の夜」が来るのを待ちました。
いよいよ夜になって「京都の夜」に繰り出したのですが、ボクはあることがずっと気になっていました。それは、京都の飲み屋は初めてのお客さんは入れてくれない、いわゆる「一見さんお断り」の店が多いということです。ですからどうしてもその店に入りたい場合は、常連客といっしょに行くしかないという話はよく聞きます。誰か紹介者がいないと入れてくれないという安心のシステムなのです。
しかし、実際に京都の街を飲み歩いてみるとそんなことはなく、ボクは小ぎれいな居酒屋で食事をし、手頃なスナックで酒をのみ、コンビニにちょっと寄ってから、寿司屋でちょいと寿司をつまんで、早々に旅館に戻りました。
旅先ということもありそれほどの深酒をすることもなく、記憶もしっかりしていたので、朝起きてから自己嫌悪に陥ったりすることもないでしょうから、ボクは安心して眠りにつきました。
翌朝、控えめにドアをノックする音で目が覚めました。旅館の人がなにか用事かなと思いドアを開けてみると、そこには見知らぬ若い女性が立っていて、ボクと目が合うと「おはようございます。足跡を辿ってやってきました」と意味不明なことを言いながら、爽やかにほほえみました。
ボクは寝ぼけた頭で、「足跡を辿って…」か、最近このフレーズをよく目にするな、とボンヤリと考えていました。
第二話:南に逃げる?
最初は見知らぬ人だと思っていたのですが、よくよく見ると昨日のスナックにいた女性でした。彼女はお店にいた時とはずいぶん雰囲気が違い、淡いスーツに同じような色の大きなスーツケースを持っていました。まるで一昔前の新婚旅行に行くような格好だな、と思いながら彼女を見ていて、ボクはなんだか重要なことを思い出したような気がしました。
そういえば、昨日スナックで飲んでいた時、ボクは彼女に「もう東京には帰らないぞ、いっしょに南に逃げよう」と言ったような気がします。それもかなり情熱的に。彼女はその言葉を信じてこの旅館まで来てくれたのでしょうか。
せっかくですから部屋に上がってもらい、彼女が入れてくれたお茶を飲みながら考えているうちに、ボクの心はすんなりと決まりました。人生の変わり目なんてものはだいたいこんなものです。昨日までの人生なんて今日のための序曲にすぎません。ボクはこれから彼女と南に逃げ、新しい生活を始めることにしました。
気立てのいい彼女は、ボクのために栄養一杯の弁当を作ってくれるでしょう。ボクは一所懸命働いて昼休みになったらその弁当を食べます。たまの休みには狭いけれども日当たりのいいアパートで寝ころがって、こんな生活でいいのかなと不安になりながら彼女を見ても彼女はいつも満足そうな横顔をしていて…。これが持続すれば、間違いなく幸福です。ボクはもう何もかもを捨て去る決心をして立ち上がりました。
その時一つの疑問が頭をよぎりました。どうして彼女はこの旅館が分かったのでしょうか。昨夜ボクはこの旅館に泊まっていることは言っていません。それに来た時に言っていた「足跡を辿って…」とはどういう意味なのでしょうか。
その時またドアをノックする音がして、今度は男の声がしました。
「おはようございます。足跡を辿ってビールをお届けにまいりました」
第三話:パーッといく?
朝っぱらからビールなんて注文するわけないだろう、と言ってやろうと思いドアを開けてみると、そこに立っていたのは昨日スナックを出てから寄ったコンビニの店長でした。いや、店長というより、代々続いた酒屋を継いでコンビニを経営している若社長です。
そういえば昨日の夜、酔っぱらってコンビニに寄った時、彼と話をしたことを思い出しました。彼はずっと続いていた酒屋をコンビニに変えてからというもの、売り上げが思うように伸びないと悩んでいました。ボクは酔った勢いもあって、「なに言ってんだよ、がんばってくれよ若社長、ビールの1ケースや2ケース、持って来てくれたらすぐに買うよ」と言って彼を元気づけました。そう、元気づけただけでした。
ところが誠実な若社長ときたら朝っぱらからビールを2ケースも届けてくれたのです。
せっかくなので部屋で涼んでもらおうと思い、3人でビールを飲み始めました。思えばボクたちはこれから南に逃げて新しい生活を始めるわけですから、今まさに門出の時なのです。このめでたい日はビールでも飲んでパーッといくのが筋です。
ボクはビールのセンを次々と開け、3人でガンガン飲みました。そのうちに、誰とはなしに何かつまみが欲しいねと言い出し、ボクは待ってましたとばかりに「もうすぐ寿司がくるよ」と断言しました。これには確信がありました。今までの流れからいくと、次は寿司が届くはずなのです。
ちょうどその時、ドアの外で威勢のいい声がしました。
「まいど、足跡を辿って寿司をお届けにまいりました」
ほらね!
第四話:マイミクシィ?
せっかくなのでお寿司屋さんにも部屋に上がってもらいました。
昨日の夜、スナックで彼女に「いっしょに逃げよう」と言った後、コンビニに寄り「ビールなんていつでも買うよ」と宣言し、その後、寿司屋に寄りました。そこの板前さんと魚の鮮度についての話になった時、ボクは鮮度だったら夜より朝のほうがおいしいに決まっていると主張しました。そんなことはないですよと言う若い板前さんに「いや、絶対朝のほうがおいしいはずだ、朝なら特上の3つや4つ、いつでも注文するぞ」と言いました。いわゆる売り言葉に買い言葉というヤツです。
彼はボクの注文通りに特上を4つ持ってきてくれました。ちょうど4人いることだし、もう宴会をするしかありません。
しかし不思議なのは、どうしてみんな揃いも揃って足跡を辿ってやってくるのでしょうか。雨が降っているわけでもないのに、足跡なんてどこをどう探そうと付いていないはずです。京都府警の科学捜査班じゃないんだから、特殊なシステムを使って足どりを追跡してきたとも思えません。
だけどまあ、そんなこと考えたってしかたありません。昨日の夜、寿司屋を出てからはどこにも寄らずにまっすぐ旅館に帰ってきたのですから、もう足跡を辿ってやってくる人はいないでしょう。ここはひとつ4人でパーッと盛り上がるしかありません。なんたってもうみんなマイミクシィなんですから。
改めて乾杯しようと思いグラスを差し出したのですが、どうしても外がガヤガヤしているようで気になりました。口々に「足跡を辿って…」と言っているような。
その時ふと思いました。そういえば、まだ「足跡」昼の部が残っていました。
最終話:軽口連発男マイミクシィ作り放題
昨日の昼間は暑かったので、涼むために喫茶店に何軒か入りました。その度にマスターに「暑いねえ、ここのクーラー持って帰りたいよ」と軽口をたたきました。夕方になって画廊を数件回ったのですが、そこで会った売れない画家に「しっかりしろよ、絵なんていつでも買ってやるよ」とまたまた軽口をたたきました。
おそらく外には中古のクーラーを持った喫茶店のマスターと売れ残った絵を持った貧乏絵描きが数人来ているに違いありません。ボクは何て軽口連発男なんだと反省しましたが、「これでマイミクシィが増えるかも」と内心期待しながら急いでドアを開けようとしたのですが、その時ふと昨夜の旅館での出来事を思い出しました。
昨夜は確かにスナックを出て、コンビニと寿司屋に寄ってからまっすぐ旅館に帰ってきたのですが、部屋に戻る途中、大広間をのぞいてみました。ちょうど宴会が終わったところらしく、仲居さんが忙しそうに配膳をかたずけていて、ボクはそれを眺めながら奥に大きな屏風があることに気づきました。その屏風には大きな虎が描かれていて、いかにも飛び出してきそうな迫力でした。
ボクは若い仲居さんに「りっぱな虎だねえ」と話しかけました。すると彼女は「怖そうでしょう」と答えてくれたので、ボクは調子に乗って「怖くなんかないよ、あんな虎なんて手足を縛って転がしてやるよ。もっとも、あの屏風から抜け出してボクの部屋まで虎が来てくれたらだけどネ」という一休さんネタの軽口をたたいてしまったのです。若い仲居さんは「うそ~」とか言って話を合わせてくれたので、ボクは上機嫌で部屋まで戻って来たのでした。
ドアの外はあいかわらずガヤガヤと騒がしくしていましたが、突然「ギャアー」という喫茶店のマスターらしき男の悲鳴が聞こえました。続いて「ギエー」という虎に踏みつぶされたカエルのような悲鳴がしました。あれは昼間の貧乏絵描きでしょう。
続いて「ガオー、足跡を辿って…」と聞こえたような、聞こえなかったような…。