湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。


07.自由の伝道師

第一話:黄色い腕章

先週、京都に行く用事があったので、新幹線で出かけようと思い、朝早く東京駅に向かいました。東京駅のキップ売り場は自動販売機もあったのですが、売り場の窓口を見るとお客さんがいなかったので、なにげなしに窓口のほうに向かいました。

窓口では京都行き新幹線の自由席のキップを買ったのですが、改めて「自由席」のキップを眺めてみると、何が自由なのかと疑問になりました。どう考えても「自由」と「指定」では、自由のほうが魅力的です。なのに指定席のほうが料金が高いのは不思議です。

ボクはどうしても解決したくて、窓口のお姉さんに聞いてみました。

「自由席の自由って何ですか。新幹線の中で自由にするってどういうことですか。そもそも自由って何ですか」

窓口のお姉さんは少し戸惑ったような表情をしました。そりゃあそうでしょう。子供電話相談室ならともかく、少なくともこれは良識ある大人のする質問ではありません。だいいち、そんなこと聞かれても窓口のお姉さんも答えようがないでしょう。

ボクはすぐに後悔して、この質問を取り下げようとしたのですが、彼女はもうすでに立ち直ったような表情をしていて、つくえの引き出しから小さな鍵を取り出しました。そしてその鍵で後の大きな引き出しを開け、その奥から黄色い腕章を取り出しました。

そしてその黄色い腕章をボクのほうに差し出し、「よいご旅行を」と飛び切りの笑顔で渡してくれたのです。

第二話:伝道師誕生

その黄色い腕章は別にこれといって特徴もなく、なんの文字も書いていませんでした。ボクはちょっと躊躇しましたが、せっかく窓口のおねえさんが飛び切りの笑顔で渡してくれたものですから、左腕にその腕章を付けてみました。

新幹線の中は乗客はまばらで、ボクは他の客との距離を取って窓際の席に座りました。

しばらくして少し眠くなってきたところに、一人の若い男がやってきて「ここの席は自由ですか」と聞いてきました。ボクはちょっとムッとしました。彼が聞いているのは、ボクの隣の席が空いているかどうかということなのでしょうが、こんなに他の席が空いているのですから、わざわざ知り合いでもない男がボクの隣の席に座ろうと思うのはおかしなことです。他にどこだって座れるわけですから。

ボクは少しきつく「この席は空いてるけど、他にもいっぱい席は空いてるんだから、わざわざこの席に座ることはないだろう」と言い、もうどっかに行ってくれよと言わんばかりに窓際に体を向け、彼に背を向けました。

だけどすぐに後悔しました。見知らぬ若者に対して少しきつすぎたかもしれません。背中を向けているところを逆襲されることだって考えられます。ここはとりあえず取り繕っておいたほうがいいなと思い、ボクは飛び切りの笑顔を作って振り返ったのですが、驚くべきことにその若い男は怒るどころか、満面の笑みでボクを迎えてくれました。

そしてボクの目をじっと見つめ、「ありがとうございます。伝道師様」と言い残して、ステップを踏むような軽い足どりで去っていったのです。

第三話:伝道師大活躍

ボクは腕を組み、目を閉じ、さっきの若い男の言葉を思い出してみました。彼は確かに「ありがとうございます。伝道師様」と言い残して立ち去りました。それも何か悩み事が解決したような満面の笑みで。

どうしてボクは伝道師なのでしょうか。考えられることと言えばこの黄色い腕章しかありません。でなければあの若者もボクが伝道師であることがわからなかったはずです。おそらくボクは、キップ売り場の窓口のお姉さんに「自由の伝道師」として任命されたのでしょう。自由というものを真剣に考えている姿勢が評価されたに違いありません。

すべてを理解したボクは、その後も「自由の伝道師」として乗客たちの相談を受け、若者の時と同じように、少しきつい口調で相談者を諭し、自由へと導きました。

たとえば、女子高生らしき二人連れが相談に来た時は、「そうやっていつも二人で行動するような主体性のなさが、自由を遠ざけているのだ」と突き放し、中年の男性が思い詰めたような顔で相談に来た時は、「いつまでも既得権益に固執するから時代に乗り遅れるのだ。自由とは既存のものを壊すことだ」と、キッパリとその人生を否定しました。

どんなに辛口トークを繰り返そうと相談者たちは口々に「ありがとうございます。伝道師様」と言い残して、軽いステップで去っていきました。

もうその頃にはボクは自覚と自信に満ちあふれ、「伝道師」としての風格さえ漂っていました。

第四話:新たな伝道師

ボクの伝道師としてのトークはどんどん過激になっていき、声高に「自由」の理念を説き、ついでに人生を語り、悩める乗客たちを導きました。

時には相談者が持ってきてくれたコーヒーにミルクをドボドボと入れ、それをボールペンでかきまぜながら「あなたの言ってることは間違いないよ、十年前ならね」なんていうアメリカ映画に出てきそうな意地悪キャラまで繰り出して、徹底的に相談者たちを突き放しました。

それでも相談者は増える一方で、東京駅を出てからいくつかの駅で止まるうちに乗客も多くなってきて、その度に乗客たちがボクの教えを請いにくるのでした。

そんな忙しい伝道師活動をしているところに、4人組のおばさんが乗りこんできました。

おばさんたちは、乗ってすぐに座席を回して4人掛けにすると大声でおしゃべりを始め、一気に車内が下品な笑い声で占領されてしまいました。携帯電話がなればお構いなしに大声で話すし、一人がお菓子を食べ始めると、我れも我れもと動物のようにお菓子の奪い合いをする始末です。

まさにケダモノのような傍若無人ぶりです。

もちろん自由の伝道師としては見過ごせない光景なのですが、ボクはおばさんたちを一目見た時から絶句して、あまりのショックに凍りついて動けなくなっていました。

なんとそのおばさんたちは全員、ボクと同じ黄色い腕章を付けていたのです。

最終話:自由の真の理解者

新幹線は京都駅に着き、ボクはホームに降り立ちました。振り向いて今まで乗っていた車両を見てみると、まだおばさんたちが自由気ままに振る舞っていました。それでも悩める乗客たちは、黄色い腕章を付けたおばさんたちの周りに集まり、悟りを開いたように去っていきました。

ボクは新幹線に乗って最初に出会った若者のことを思い出してみました。

彼はガラ空きの自由席でボクの隣の席に座ろうとしました。その時ボクは他にも席は空いているのだから、わざわざ隣の席ではなく他に座ればいいじゃないかと、彼を拒否しました。指定席ならば当然受け入れていたでしょう。彼にとって、ボクの隣の席がどれほど重要だったのかは本人以外は分かりません。しかしそんな事情も考えずにボクは自分自身の自由のみを優先させたのです。

自分が自由であるということは、同時に他の人も自由であるべきです。なのにボクは勝手に彼の自由を奪いました。自由を奪われた彼は「自由」の真の意味を再確認し、奪ったボクは傲慢になり堕落していきました。あの女子高生も、あの中年男性も、すべての乗客たちが黄色い腕章を付けたボクを反面教師にして「自由」の真の意味を理解していったのです。

ボクは左腕に付けていた黄色い腕章を外して、カバンの奥にしまいました。これからの人生、どんな人に出会うか分かりませんが、この腕章を渡すべき人に出会わないことを祈るばかりです。だけど、もしどうしても渡さなければならない人が現れたら、その時はニッコリ笑ってこの黄色い腕章を渡すつもりです。そう、あのキップ売り場のおねえさんのように、飛び切りの笑顔で。

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